丘の上の純情  野分の章 5

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二人で皿を洗って食事の片づけをしたあと、
俺はコーヒーを淹れていた。


「このカレー、すっごくおいしい!
カレーのお店、できるよ。」
の評価を思い出して、思わず顔が緩む。

 

ヒロは、チーズケーキの入った紙袋を取りに行った。
さっきずぶ濡れで入ってきたとき玄関に置き忘れたのだ。

でも、なかなかリビングに戻ってこない。

どうしてるのかと行ってみると、
電話の最中だった。

 

「あ・・・アサコさん?
あのね、あ、そうなの・・・」


家に電話していた。
隠れてしなくていいのに。


「うん。ずぶ濡れになっちゃって。
ナツキの服借りて洗濯したの。
すぐに乾かないし、話したいこともあるから、
泊めてもらっておしゃべりすることにしたの。」


咄嗟に手を出していた。
携帯を取り上げた。


ヒロがギョッとした顔をした。

 

「お母さん、サカキです。
こんばんわ。

チヒロさんは今僕のうちにいます。
すみません。こんなに夜遅くまで。」


「あらま・・先生でしたか・・・」


声は意外にのんびりしていた。


「はい。
ずぶ濡れになったのはほんとですが、
僕がいてほしいと・・・
チヒロさんと一緒にいたくて、
泊まってくれと頼みました。

こんな時間になってからのお願いですみません。
チヒロさんを今夜、僕の家に泊めることを許してもらえませんか。」


「そうでしたか・・・」


「・・・・」


「いえ、もう成人ですし、長く一人暮らしをしてきた娘です。
今さら外泊をどうのこうの言う理由はありませんからね。
お世話になります。
よろしくお願いします。」


「え・・・あ・・・はい。
ありがとうございます。」


「それでね、先生・・・」


「はい・・・」


「とりあえず、私以外には言わないってことで、いいでしょうか。
あとの家族には、ナツキさんのところだということで。」


声にいたずらっぽい響きが加わる。


「あ・・・はい。」


「とがめる理由はないんだけど・・・
でも、あとの三人、やっぱりちょっとやっかいでしょ。うふふ。」


「はぁ。」


「チヒロにもそう伝えてくださいね。
君は母を共犯者にしたぞって。」


「あ・・・すみません。」


「冗談ですよ。うふふ。」


「あは。
あの、伝えます。
ありがとうございます。」


「はい。じゃあ、お世話になります。
よろしくお願いします。」


「はい。こちらこそ。」

 

・・・切れた。

 

「他のみんなには、
ナツキさんのところに泊まったってことにしようって。
お母さんが。
母を共犯者にしたぞって。」


「もう・・・」


呆れた顔で唇をとがらすヒロ。


「なに?怒ってるのか?」


「この・・・正直者。」


「なんだよ。うそつき娘。」


ヒロがすっと胸の中に入ってきた。
何も考える間もなく、俺は背中に腕を回していた。

シラフのヒロを抱きしめるのは、これで二回目。
今回は、邪魔する車のシートもない。

 

一瞬、空港の光景がよみがえる。
このぬくもりを最後に、今日、ヒロへの思いを断ち切った男がいる。

自分の口に微かに苦笑が浮かぶのを感じる。
こんな時に思い出すなんてな。

他のことは考えるな。
ヒロは今俺の腕の中なんだ。

 

「ウソつかないって、いいね。」

胸にもたれながら言った。

「ほら、やっぱりそう思うだろ。」


でも、今日お互いの胸にしまった空港の出来事は、
ウソじゃなくて・・・

言わないでいる。

それだけだ。


それぞれが胸にしまった今日を、
いつか打ち明け合う日が来たりするだろうか。、

 


「でも、明日アサコさんに会うの、はずかしいかも。」

「元気にただいまって言って、ウィンクすればいい。」

「あは・・・できないよ。」

「ウィンク、できないのか?」

「いや、そうじゃなくて・・」


ヒロの頬を両手で包んだ。

 

「じゃあ、やってみ。」

「え?・・・」

「片目、つぶってみ。」

「ふふ・・・できるよ、ちゃんと。」


ヒロが片目をつぶった。

あは・・かわいいや。

 

思わず唇に触れていた。


驚いて肩をすくめたヒロは、目がまんまるだ。

かわいくて・・・
またキスしてしまう。

止まらない。

何度も触れて、
だんだん深く進もうとする唇を、ヒロも応えて受け止める。

ふっと崩れそうになった体を支えて壁にもたれかかると、
思った以上に大きな音がした。

急に気恥ずかしくなる。
でも、ヒロを離せない。


「ごめん、俺たちの初キスがこんないきなりで、ムードなくて。」

「んふ・・・こないだはお願いしてもしてくれなかったのにね。」

「・・・すまん・・・あの時は・・・」

「あとでもっとしようね。」

「あ・・・うん・・」

コーヒーメーカーがボコボコと音を立てて、
香ばしい香りが漂う。


「そうだ・・・チーズケーキだったね。」

「おう。」

「ふふ・・・」

 

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

やっとヒロの肌に触れた。

シーツにくるまり、
もう布一枚も、二人を隔てるものはなかった。

 

ヒロ・・・

ほんとはあの時、もうケーキもコーヒーもいらなかったよ。
そのままヒロを抱き上げて、この部屋に連れてきたかった。

「このケーキ、ほんとにおいしいでしょ。この半生の舌触りが・・・」

ケーキの味なんてよくわからなかった。
でも、「うん、うまい。」って言った。

 


やっとこうして、ヒロを抱く。

なのに、ヒロ・・・

お前が大事すぎて、
俺はいつもの俺じゃないな。

お前をこの腕に抱きたくて、
壊してしまいたいほどだと思っていたのに、

こんなふうに触れて、確かめて、
そしたら今は、お前を壊しそうで怖くなった。

俺はちゃんと優しくできているか。

俺の腕の中にいて、
ヒロ、お前はちゃんと幸せか?


透きとおるように白い肌が、
それでもだんだんに色づいて、
俺の胸の痛みを溶かしていく。


ヒロ・・・

お前と、ひとつになっていいんだな。

俺をじっとみつめる潤んだ瞳から目をそらさず、
ヒロのもとへと向かっていった。

 

 


どのくらい眠ったのだろう。

目を凝らすと、弱い光の中に人影があった。
窓の外を見る横顔は、絵のようにも見えた。
夢を見ているのかもしれない。

人影が、ぶるっと身震いした。

一瞬で目が覚めた。

慌てて毛布と一緒にその人影を包むと、
シーツ一枚を巻きつけただけの体は冷えていた。

「バカだな。風邪ひくだろ。」

「あぁ・・あったかい・・・」

「バカ。」

「朝焼け・・・きれいね。」

「あぁ。」

「最初ね、うちから見る夕焼けとそっくりで、
あれ?今、夕方?って思っちゃった。ふふ・・・」

「あは・・・そうだな。
ヒロのうちと俺のうちは、
ちょうど平野の東の端と西の端だ。
ヒロのうちからは夕焼けしか見えないし、
俺のうちからは朝焼けしか見えない。」

「そっか・・・」


いちばん冷たい肩先をくるみ直して、
ヒロはもう、外に出ているのは顔面だけだ。


「さっきから見てるとね、
朝焼けって、だんだん明るくなってくるんだよね。
当たり前だけど。」

「当たり前だけど、不思議だろ。」

「うん。不思議。」


見ているうちにも山際の薄桃色は、
絵の具がにじんでいくように広がっていく。


なあ、ヒロ・・・
朝焼けもいいだろ。


淡い薄桃色の心許ない光が、
だんだんに強い意志を持ちはじめ、
青い闇を押し上げて夜の名残を消していく。

そしていつのまにか、あんなに遙かな高みから
圧倒的な光を注ぎ入れる存在になる。
自分が小さな薄桃色だったことなどすっかり忘れて。

そして次の朝はまた、
自分が圧倒的な光であったことなどまるで知らないみたいに、
静かで心許ない薄桃色はまた生まれて、その一瞬を届けに来るんだ。


ずっと毎日そうなんだ。
約束のように。

嵐の日にも厚い雲の奥で、その約束は果たされる。

俺がどんなに屈託を抱えていても、
この窓には必ずその一瞬がやってくる。

子どもの頃から、そんな朝焼けを見るのが好きだった。
時には、声を出して語りかけたりもした。


早く起きすぎた遠足の朝は、弁当の中身を予想してつぶやいた。

人が去った辛さを吐き出した朝もあった。

父の家族と初めて会う日は朝まで眠れずに、
自分の人生に父母というものが存在しない意味を尋ねた。
答えなどないと知っていても。


やわらかな薄桃色は何も答えない。
その代わりに、目の前でだんだんに明るさを増して
俺の周りをひたひたと、すべて光で満たしていく。

焦燥も孤独も喪失も・・・
闇の中ではくっきり見えたはずなのに、
そのあまりの明るさに晒されて、つい輪郭をにじませる。

するとちょうどそのタイミングで、
朝メシの匂いがして、腹が鳴る。

そこで「まぁ、いっか。」なんてつぶやく俺もまた、
きっと毎日この光と一緒に生まれ変わってきたんだろう。


だからこの時間はスペシャルなんだ。
たぶん、これからもずっと。

 

ヒロは不思議だ。
まるでそのことを知っていたずらでもしているように、
こうしてこの時間の先客になっていた。

だから今朝は、さらにさらにスペシャルな朝だ。

 

夜中のうちに冷たい嵐が去ったあと、
いつもよりずっと空気が澄んでいる気がする。

 

胸に包んだヒロの体が、少しずつ熱を取り戻す。

 


「ユウジ・・・」

「ん?・・」

「いろいろ、心配させてごめんね。」

「あぁ。心配はしてない。
やきもちを妬いただけだ。」

「あ、そうだったね。」

「あぁ。」

 

いや・・・とても心配だった。

 

「とても大事な友達だったの。
友達のままでいられたらよかったけど、
そうはいかないこともあるね。」

「あぁ。」

「韓国にいる頃、
楽しくて時間があっというまにすぎたの。
なんでも話せて、よく笑い合った。」


「でもね、この3日は違った。
話してるのに、笑ってもいるのに、
私の頭の中は、早くユウジに会いたくて、
何度も何度もユウジのことを思い出してしまった。
目の前の人に悪いなって思うくらい。」


「・・・・」


「でも、こんなふうにユウジのことを思うように、
ギュリも私を思ってたのかもしれないって思った。

人の気持ちに応えられないってつらいこと。
でも、私にはユウジしか見えないんだからしょうがない。
しょうがないんだよ。」


「うん・・・」


「だから早くユウジに会って、
もう一度ちゃんと伝えなきゃって。
私はユウジだけが好きだから・・・」


我慢できずに抱きしめた。
ヒロの顔が毛布の中に沈んだ。


「こら・・・なんで?
最後まで言わせてよ・・・
ユウジが好きで・・・
聞こえたぁ?・・・こらぁ~~。
出して・・・わぁ・・・ここから出せぇ~~。」


「いて・・・こら・・いてぇよ・・」


暴れるやんちゃな生き物と一緒にベッドに倒れ込んだ。

毛布に潜り込んで、その生き物の唇を探す。
やんちゃなくせに、キスには従順だ。

 

「この・・・正直者・・・」

「あ・・・ふふ・・・
うるさい、乱暴者・・・」

「ほんとはさ、すごいどんでん返しがあって、
ヒロがあっちに行っちゃったらどうしようかって思ってたんだ。」

「うそ・・・」


二人して、水面に浮かび上がるみたいに毛布の中から顔を出した。

ヒロ・・・
髪がくしゃくしゃだ。


「あんなにかっこいい男が現れると思わなかったからな。」

「・・・・」

「俺はこんなにヒロとキスしたくてフラフラなのに、
なんでこんな時にって・・・」

「なによ。キスしてって言ったらダメだって言ったくせに。」

「だからごめんって。あれは・・・バカなんだ、俺。」

「でも・・・すてきだったよ。」

「ん?・・・」

「我慢するセリフも、かっこよかった。」

「あは・・・」

ヒロが、俺の頬に手を当てた。
まだ冷たいな。
俺の手を重ねて温める。


「あぁ・・・
ヒロがここにいるんだな。」


「うん・・・ここにいるよ。」

 

ヒロ・・・

夜が明ける。

新しい一日の始まりの時に、
お前がそばにいる。
こんなに近くに。

なんでか、
泣きそうだ。

 

ヒロ・・・

もう一度、
この朝日の中でお前に触れていいか?

 


また今日も生まれた約束の光の中で、

もう一度、お前に・・・

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

この物語は、私が創作を書かせていただいているサイト
「Moonbow's Path  ~ silverblue's nest ~」( ○ttp://www.geocities.jp/silverblue_web/ )で初出の作品です。
 

 

2 Comments

  1. サカキ君のお話、一気に読んでしまいました^^
    あずみちゃんを引きずっていて辛い思いが続いたけれど、
    新しい出会いがあって良かった。
    サカキ君もチヒロちゃんも夫々がちょっと悲しい家庭環境を持つけど
    それにも勝る優しい温かい家族に守られているのですね。
    登場する人物、特に弟やお祖母ちゃんがとってもいい味で、
    あぁ私もこんな風に年を取りたい・・と思いました^^
    物事には両方の面がある・・・・
    親と離れなくてはならない事情も一方的な見方ではなく、
    また好きな人に答えて貰えない時の苦しさは、Noと言う側にも
    大きくのしかかってくる・・と。
    シータさんのお話は、とっても言葉にウィットがあり、
    相手を優しく包む思いやりにあふれていて
    読み終わってホッと温かい気持ちになります^^
    サカキ君のような「いい奴!」がちゃんと幸せを見つけられて
    ホントに良かった~~!
    ステキなお話を有難うございます^^

  2. hiroさん
    >サカキ君のお話、一気に読んでしまいました^^
    一気読み、大変ですよね。
    読んでくださってありがとうございました。嬉しいです。
    >サカキ君もチヒロちゃんも夫々がちょっと悲しい家庭環境を持つけど
    それにも勝る優しい温かい家族に守られているのですね。
    家族のかたちも愛情表現もいろいろあっていいんだって、
    子ども自身が思えて自分の人生を肯定できるといいなぁ~って思います。
    あ。。。なんか、固いな。。。
    >登場する人物、特に弟やお祖母ちゃんがとってもいい味で、
    あぁ私もこんな風に年を取りたい・・と思いました^^
    私、こういうばあちゃんになる!。。。予定なんです(笑)
    >物事には両方の面がある・・・・
    親と離れなくてはならない事情も一方的な見方ではなく、
    また好きな人に答えて貰えない時の苦しさは、Noと言う側にも
    大きくのしかかってくる・・と。
    うぅ~ん、嬉しいなあ。
    いまでも正直、そのあたりのこと、回りくどくて理屈っぽく書いてるなあと思うので。
    そういってもらえると、ちょっとほっとしたりして・・・
    >シータさんのお話は、とっても言葉にウィットがあり、
    相手を優しく包む思いやりにあふれていて
    読み終わってホッと温かい気持ちになります^^
    サカキ君のような「いい奴!」がちゃんと幸せを見つけられて
    ホントに良かった~~!
    あ・・・ありがとうございます。
    すっごく励みになります!
    そうだ! いいヤツが報われる世の中でありたい!
    ・・・ん?

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