丘の上の純情  野分の章 4

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昨日の風がうそのように、朝から晴れていた。
でも今日は夕方から天気が荒れるらしい。
集合場所まで送る車の中でばあちゃんがぼやいた。

そしたらじいちゃんが、
降るのはここで、今から行くところは降らんのだと言って笑った。


うきうきと嬉しそうな二人を送り出して帰り、
俺はばあちゃん直伝のカレーを作った。
人に振る舞える料理と言えばこれだけだが、けっこう自慢だ。

すじ肉をあらかじめ2時間ことことゆでる。
ゆで汁を冷やし、油を固めて全部取ったら、
濾してカレーのスープに使う。
ここが大事なんだ。

肉のうまみがスープにたっぷり染み出た、ちょっとサラサラなカレー。
肉はぷよぷよに柔らかい。
気に入ってくれるかな。

かなり辛口だけど、
韓国で過ごしたヒロにはOKだろう。

鍋をかき回しながら、いろいろ想像してボーッとする。

 

食事の準備ができたら、
掃除なんて特にすることがない。

もともときれい好きのばあちゃんが、家を二日空けるってだけで、
いつもより念入りに掃除していった。


俺の部屋はいつもどおり。
見られてヤバイものだけ隠すくらいか。


あとは・・・
俺の下心が勝手に準備する。


そして、すぐに何もすることがなくなった。


メールを待つ時間。


机の上の小さな置き時計の位置をいじり、
ベッド脇の本棚の雑誌を並べ直した。

CDを選んだ。


落ち着かない。

 

“空港を出るのは3時過ぎくらいだと思います。
モノレールに乗る前にまたメールします。”


“了解!待ってる。”

 

今1時。

 

今日は天気が荒れるんだよな・・・

立ち上がってジャケットをつかんだ。

 

 


ーーーーーーーーー

 

 


モノレールの駅で待っていようと思っていた。
空港まで行ってどうするんだ・・・


なのに、人の流れに乗って勝手に足が動く。

エスカレーターに乗った。
そしてまた・・・
次のエスカレーターにも、乗ってしまう。

ロビーの床が近づいて、うつむいたまま降りる。


顔を上げた。


そうだよな。みつかるはずない。
こんなにたくさんの人の中で。


でも・・・

二人はいた。


ベンチからたち上がる大柄の男。
続いて立ち上がるやせっぽち。

なんでだ。
まっすぐにみつけてしまったんだ。

話し声なんかもちろん聞こえない。
人の流れの向こう。

彼がしっかりとヒロをみつめて何か言い、
ヒロが頷きながら答えてる。


握手した。


あの静かな笑顔でじっとヒロを見て・・・
こうして見てると、恋人同士の別れのようだ。

彼は背を向けて歩き出した。
大きな背中だ。
ヒロは見えなくなるまで見送るんだろうか。


そう思った時、いきなり彼が振り返って、
キャリーバッグを置いたままヒロに駆け寄った。


彼が、ヒロを・・・

抱きしめた。

折れそうなくらいに。


俺はたぶん呆然としていた。
二人から目が離せないまま。

でもなぜか、“映画みたいだ・・・”なんて思っていた。

そして・・・
見てしまった。

彼がヒロの髪に顔を寄せた一瞬、
どんなに辛そうな顔をしたかを。

 

彼がやっと体を離すと、
短く何か言った。


そしたら・・・


ヒロが自分から手を伸ばして、
彼をそっと・・・

抱いた。

 

俺は今、ちゃんと立っているんだろうか。

二人から目を離すことがことができないまま・・・

行き交う人に邪魔になりながら、
ちゃんとまっすぐ立ってるはずだ。


彼が唐突にヒロを離して、
両肩を掴んでじっと見た。


大きな背中を丸めてかがんで・・・
たぶん、彼の唇は、ヒロの頬に触れた。

その一瞬後にはもう背中を向けて、
あっという間にいなくなった。


ほんとに、あっという間だった。


突っ立ったまま動かずにいたヒロが、
すとんとベンチに腰を落とした。

そのまま動かない。

俺も、動かない。


ヒロ・・・
泣いてるのか?


うつむく背中が小さすぎる。


周りは動いてるのに、
ここだけ時間が止まったみたいだ。

 

あいつ・・・

華奢な体を折れるほど抱きしめて、頬に触れて、
そして一瞬でいなくなったヤツ。

断りもしないでヒロの頬に・・・


思い切り妬けるはずなのに、
全然違うことを考えていた。


これでちゃんと、あきらめられるのかもしれないと。

その腕が自分の背中にちゃんと届いて、
奇跡のようなその感触に目を閉じて、   
思い切れたかもしれない。


あの時の、 
俺みたいに。

 

・・・黙ってヒロを置いて帰らなきゃいけない。

 

そう思った時、ヒロが顔をあげて、
勢いよく立ち上がった。


右手にバッグを持ったあと、
左手の指が頬をかすめた。
泣いていた?
よく見えない。


振り返って歩き始めたヒロは、
痛々しいほど胸を張る。

 

こっちに向かってくる。
俺は咄嗟に靴ひもを結ぶふりをして壁際にしゃがみ込んだ。


3メートル向こうを通り過ぎるのを待って立ち上がると、
一瞬見失った背中は、
もうエスカレーターにあった。


10メートル離れて後ろを行く。

もう見失わない。

でも、追いつかずに。


エスカレーターから次のエスカレーターへ、
大股でガンガン歩くやせぽちの背中。

 

モノレールのホームに着くと、
ヒロが携帯を取り出す。

当然のように俺の携帯が震える。

 

“もうすぐモノレールに乗ります。
最後に電車を乗り換える時にもう一度メールするね。”


“わかった。
気をつけてな。”


“はい”

 

となりの車両の端からのぞき込むようにして、
ドア際に立つヒロを見てる。

ほんとにストーカーみたいだ。


ヒロはまっすぐ立っている。
必要以上に背筋を伸ばして。

そうしないとくずれてしまうみたいに。


彼があの時短く言った言葉はなんだったんだろう。


俺は言った。タカナシに。
「ハグしていいか」と。

 


     なあ、タカナシ・・・

     お前もこんなふうだったか。

     あの時、どうしても最後にお前を抱きしめたかった。

          どうしても。
    
     お前もこんなふうに電車に乗って、

     こんなふうに・・・

     睨みつけるように窓の外を見ていたのか。


     タカナシ・・・

     お前、昨日「揺れなかった」って言ったよな。

     あれ・・・

     ほんとか?

 


     
“実は俺もそっちに向かってる。
モノレール降りたところで待っていて。
俺がヒロをみつけるから。”


もうみつけてるけど。


“え?
そうなの?”

“降りたところで待ってるんだぞ。”

“はい。”


それから急いで一番端の車両に移動した。
ストーカーは終わりだ。

 

ホームへ降りると、
ヒロは川の流れに逆らいながら必死で泳ぐ子どものようだ。

やっと大きな柱の陰に泳ぎついて、息を吐くのが見えた。

流れが引くのを待ちながら、
キョロキョロと背伸びして遠くを探す。

 


ヒロ・・・

俺はここにいる。

もうためらったりしない。


揺れてていい。
揺れたままで、俺のところに来い。
そのまま全部、抱きとめてやる。


誰かのために泣いたまま、
誰かに心を残したまま、
俺のところに来い、ヒロ。


俺の胸の中で、誰かのことを思い出したとしても、
もう俺はお前を離さない。

離さないんだ。

 

 

乗る人降りる人の波が去り、
ホームに一瞬の静けさが訪れた。
柱を背にして、俺が現れるはずの階段をみつめてる。


「ヒロ・・・」

「わぁ~~~!!」

「なんでそんなに驚くんだよ。」

「だって、あっちから上がってくると思ってたんだもん。」

「もう来てて、あっちの端っこにいたんだ。」

「あ・・そうだったの?
お迎え、どうもありがとう。」

 

お前は何もなかったように笑って見上げるのに、
俺はさっきまでのお前を知ってる。

ひどいヤツだな、俺。

 

「このままユウジのおうちに行くの?
それともどこかでなにか食べていく?」

「・・・・」

「もしかして、おうちでお鍋の用意ができてるとか?
ふふ・・・」

「・・・・」


ヒロ、そんなに頑張ってしゃべらなくていい。


「いろいろ想像してたの。
ユウジのおうち、どんなところかなって。
田んぼの中の・・・」


ヒロの手をとった。


「ん?・・・」

「早く俺んち帰ろう。」

「・・・うん・・・」

 


最後の乗り換えは2分のインターバルだった。
ヒロの手をとったまま連絡通路を走り、
エスカレーターも駆け上がった。


「わぁ、ユウジ、早いよ。
私、転ぶかも・・・」


「うゎ・・・助けて・・・あはは・・・転ぶよ~~!」


ギリギリで電車のドアに滑り込むと、
ハァハァと息があがって今にもしゃがみ込みそうなヒロを支えた。


「大丈夫か。」

「あは・・・あはは・・・
私・・・体力・・・ない?・・・あは・・・
ほんと・・・こんな全力疾走・・・久しぶり・・」


額に汗をにじませて、
上気した顔で、ほんとに嬉しそうに笑う。

ヒロ・・・
お前が好きだよ。

俺、こんなにお前が好きだ。

 


電車の中でも、ずっと手を離さなかった。

混み始めて手を肩に回すと、
そっと体を預けてきた。

走ったあとの熱と一緒に、
シャンプーの香りがいつもより濃く立ち上る。

 

何を思ってる?
何を思っててもいい。
今、ヒロはここにいる。

 

 


電車が俺のうちに近づくにつれて、
空の気配はどんどん険しくなり、
駅に着いてもすぐには駅舎を出るのがためらわれた。

目の前で、先に出た人の傘が裏返しになって飛びそうになった。

 

「ヒロ、傘さすと却って危ない。
俺が先に帰って車取ってくるからここで待ってて。」

「え?ユウジのおうちってあそこでしょ。見えてるのに。
そんなことしなくても、私も一緒に走って行くよ。」

「危ないよ。」

「なんで?」

「なにか飛んでくるかもしれないだろ。」

「そしたらユウジだって危ないじゃない。
一人で行かせられない。」

「俺はダッシュで行くから大丈夫だ。」

「イヤだ・・・」


ヒロが俺の腕にしがみついて、
これじゃあ俺は、
地元の駅でいちゃついてるバカな学生だ。


「わかった。走るぞ。
さっきよりもっとハードだぞ。
いいか?」


「うん、がんばる。
でも転ぶほど引っ張らないでね。」

 

ヒロをジャケットの中に入れて抱え、
盛大な雨と風の中に飛び込んだ。


こういうシチュエーションって、
なんで大声出して笑いたくなるんだろう。

キャーキャーはしゃぐヒロは子どもみたいで、
吠えてる俺は犬みたいだ。


家に着いた時には、
もう二人、体までしっかり雨が染みわたっていた。

一秒でも早くヒロを温めたい。


「ヒロ、このまま風呂に入れ。」

「あ・・・」

「5分で湯船はいっぱいになる。
ちゃんと温まってから出てこいよ。
俺の服をなにかみつくろって・・・」

「ありがとう。
ちゃんと着替え持ってきたからだいじょぶ。」

「ん?・・・」

「だって、お泊まりするんだから。」

「お・・・」

「じゃあ、お先に!
なるべく早く温まって上がってくるけど、
ユウジも濡れたままにしてちゃだめだよ。」

俺が代わりに担いでいた大きなバッグを取り返した。

「ん?・・・お風呂どこ?」

 


カレーの鍋をかき混ぜながらボーッとしていた。

ヒロは時々、俺の頭の中でぐるぐる逡巡する願望を、
いとも簡単に実現に導く。

あれこれ思案していた段取りは、
ヒロが押したショートカットボタンであっさりクリアだ。

嬉しいような、あっけないような・・・

いや、やっぱり嬉しい。

 


壁の向こうに、湯を使う音が聞こえる。

ボーッと鍋をかき回しすぎて、
じゃがいもが溶けてしまった。

 

 


 

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