丘の上の純情  野分の章 3

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新聞雑誌の閲覧室は、
図書館のなかで一番くだけた空間だ。
気がゆるんでつい声が大きくなったりする。

窓際の席に座った。
ちょうどみんなが行き交う広場が見える。

今日は木枯らしの一日だ。

夏には大きな木陰を作っていた落葉樹たちが、
強い風に急かされて旅立つ葉を見送っている。

まるで色とりどりの小さな鳥たちが
飛び立っていくみたいだ。

広場を行き交いながら、みんな寒そうに首をすくめてる。

Tシャツ一枚でも汗ばむような日差しを感じるかと思うと、
冬のコートを出したくなる日がある。


ヒロは、また薄着していないだろうか。

今日一日、何度も思考の中に割り込んでくる。

授業もバイトも飲み会もない金曜日、
お前のことばかり考える。

ヒロ・・・

今頃彼と、何してる?

 


このごろの図書館は、
卒論の中間発表を控えて殺気だった4年生がうろうろしている。

PC持ち込みOKの部屋は満員だし、
ゼミ室も情報処理センターも落ち着かない。

早々と10月中に卒論を書き上げた俺は、
ついこないだまでゼミ仲間のサポートをしていたが、
いよいよ大詰めとなって、みんな自分でやるしかない。

 

音の割に効かない暖房のせいで、ここも少し寒い。
築何十年か知らないが、ついに来年は建て替えられるらしい。

増築と改築を重ねた結果の、細長い迷路のような書架の並びも好きだった。
みしみしと音をたてる床も。

後方で、観音開きのドアが音もなく開いた。

そうだ。
音もなく開くようになったのは、3年生の夏休み前だった。

それまで、まるで「誰か来たぞ~」という合図のように、
ギギィ~という音がしていた。

その音も嫌いじゃなかったが、
だんだん大きく甲高く、
ついに鳥肌がたつような耳障りな状態になってきて、
顔をしかめる学生が増えた。

この蝶番に少し油を差すだけでいいのにと、
いつも思っていた。

一旦気になると、なんだか意識してしまう。
自分の家から機械油のスプレーを持ってこようかと
結構マジで考えはじめていた。


ふふ・・・
あれはおかしかったな。


ある日、本を借りるついでに受付で提案してみた。

「スプレーの油をさすだけで音は消えると思うんですけど。」

スタッフは、「はぁ・・・」と曖昧に答えただけで、
結局改善されないままだった。

しばらくして、なにかの話の流れでハタナカ教授にその一件を話すと、
教授はすぐにどこかに電話した。

いつも教授の口調はおっとりしていて静かだ。
でも大事な時には静かなままに、
言葉を尽くして相手に伝えようとする熱を持つ人でもあるんだ。


「・・・はい・・・
え?・・・まったく報告がなかったのですか?
それはおかしいですね。

・・・・そうですか。
図書館の環境整備はあなたがたの職務ですよね。
それは、毎日利用している学生からの提案に、
まったく耳を傾けようとしなかったということですかねぇ。」


穏やかだが、最初から攻めの体勢だった。
俺とタカナシは顔を見合わせた。


「僕が聞くかぎりその提案は、
図書館という施設の性質上、
静寂を維持するという点で大変重要なものであり
かつ、いとも簡単に改善できることのように思います。

それをしないで、今こんなふうに言い訳ばかりというのは、
すこし恥ずかしいことだと思いませんか?」

 

“相手は誰なのかな”とタカナシが小声で言った。

“うん・・・”

俺はすでに困っていた。


教授の言葉にいちいち納得しながら、
でも、このあとかなり図書館に行きにくくなるな。
そう思っていた。

だんだん気が重くなり、
教授に話したことを後悔しはじめていた。

タカナシなんか、泣きそうな笑いそうな、
わけのわからない顔をしていた。

「これは端っこのちいさいことのようであって、
実は真ん中のことなのです。

ここに在籍する学生たちの、
学究の環境を守るという点において、
初歩的な責任を果たす意志をお持ちなのかどうか、、
この際皆さんに確認していただけませんか?

あ、もちろんあなたもご自身に。
はい。」


決して声を荒げたりしない教授は、怒りがMAXに達した時、
むしろさらに静かになり、スローテンポとなる。

そして、少しせりふが芝居じみてくる気がするのだ。
これは、タカナシも同感だと言った。
“でも、たぶん無意識だと思うな。”と。

「いえ、だからそのスタッフ一人を
厳重注意するなどということではないのです。

・・・は?・・・
違います!

あぁ・・・
そうではないんです。」


教授はちょっと悲しそうな顔になった。


「スタッフ全員がどういう姿勢で
大学図書館という機関の環境の向上に取り組むのかということを、
きちんと考えるべき機会だと言っているのです。

私の言っている意味をわかっていただけませんかねぇ?」


教授はまじめに落胆しているのに、
なぜか舞台俳優を見ているような気持ちになった。
あいつも、教授をぼーっと見ていた。

「いえ・・・
だから私に謝っていただくようなことではありません。
謝るのならその学生に・・・
・・・ん?・・・」


俺は慌ててブンブンと顔の前で手を振った。
俺が謝ってもらっても困る。


「その学生も、謝ってもらうには及ばないと言っています。」


タカナシが口をおさえて笑いはじめた。


「こちらに謝りに来てくださる暇があったら、
すぐに油を調達するなり、
図書館内の全てのドアの音を点検するなりするべきじゃないでしょうかね。

今この時にも、きっとドアたちはギギ~~ッと大きな音をたて、
誰かの肌がニワトリのようになっていることでしょう。」


タカナシの目が一瞬まん丸になり、爆発的に笑いをこらえている。


教授はウィットに富んでいる人と言えばいいのか、
ただほんとにまじめにそう思っているという、
いわゆる“天然”な状態なのか、
ほんとにわからなくなるのだ。


「はい。
すばやい対応を期待しています。
ではまた。
は?・・・え?・・・ 
・・・コホッ・・・」


ハタナカ教授が、しばしの絶句のあと、咳払いをした。


「さきほども申しましたが、
わたくしは、発達心理教室の、ハタナカです。」


受話器を置いて、教授はドンとイスに腰を下ろして、
「ふ~~~」と長いため息をついた。

俺は深々とお辞儀して
「お疲れ様でした」と言った。

タカナシは、
「コーヒー淹れますね!」と言った。


「サカキくん。」

「はい。」

「君は肩もみをしたことがありますか?」

「はい。小さい頃から得意です。
祖母が肩こりがひどくて。」

「ほう、それはすばらしい特技です。
では、タカナシくんのコーヒーが入るまでの時間、
お願いしてもいいですか?」

「肩もみですか?」

「はい。少し肩が凝りました。」

「はい! 喜んで。」

 

 

おそるおそるタカナシと、図書館に行ってみた。

もぞもぞと立ち止まってしまう背中を、彼女につつかれながら。

そして、ひとつめのドアから音が消えているのを確かめた。


「すぐだね。すごいね。」

「あぁ。」

「サカキ君、どんな気持ち?」

「どんなって・・・ちょっと悔しいかもな・・・
俺なんかじゃダメで、
教授の一声でこうなるんだもんな。」

「でも、先生も疲れて肩凝っちゃうくらいの労力ではあったんだよね。
人にああいうこと言うのって、やっぱり大変だよね。」

「そうだな。」

「先生も、ずっとあんな感じで今日まで来たんだね。
やっぱり疲れるだろうな。」

「あぁ。」

「サカキ君も、いつかあんな教授になったりして・・・」

「は?・・・」

「あんな口調になってたりして。」

「あは、それはないだろ。」

「それはないか。」

「ないな。」

「ふふ・・・」


そう言いながらもう一つのドアを開けて次の部屋へ行ってみる。


「これもだな。」

「うん。」

「まさしく素早い対応だ。」

「・・・でもね・・・私は・・・
なんか、あの音がしないのも、ちょっと寂しいかも・・」

「えっ? おい、コラッ!!」

「声が大きいよ・・・」

「あ、ごめん。
でもあんまりだろ、それ。」

「ごめん。
だって、こうやって開けて音がしないなんて初めてなんだもん。」

「まあ、そうだな。」

「入学以来ずっと聞いてて、音がするのが当たり前で・・・」

「これはだな、えぇ~~
“図書館という施設の性質、
静寂を維持するという点で大変重要なものであり・・・”」

「あ・・全然似てないし・・・」

「うるせえ、このやろう!」

「痛てて・・・ごめんって・・・
って、声が大きい・・」


タカナシの頭を両手でつかんでぐりぐり回したなんてな。
本棚の間で。

今となったら・・・
バカじゃないか?俺。

 

ハタナカ教授、あいつ、俺。
不思議によく3人でいた。
思えばずいぶんデコボコな3人だ。


     いいえ、サカキ君。

     そのまま君は思うままを言ってください。
   
     いつも青くあってください。熱く理想を語ってください。

     その青く熱い君たちからの提言に

     きちんと耳を傾ける柔軟さを持つことも、我々の使命なのです。

     青臭いと言われたくらいでひるんではいけない。

     私はその青さを支持します。

     心配しないでこれからも信じたことを実践して結構!

 

先生は、研究者としてあまりにも潔くて、誠実だ。
そして、勤勉で熱くて、どこまでも学生を守ろうとする。

時に不器用で正直過ぎて、
学生のちょっとした手抜きや適当な言い訳に傷ついたりもする。

そんな「人間ハタナカ」に触れてしまうと、
学生は自分がとんでもないことをした気分になって、
えらく反省して改心してしまう。
説教されたわけじゃないのに。

そうなのだ。
こっちがその人を守りたい気持ちになってしまう。

学生たちから「プロフェッサ~~ハタナカ~~」と陰で呼ばれ、
愛と親しみをもって、
その口調を物真似されまくるこの教授が好きだ。

 

・・・一瞬、ヒロのことを忘れていた。

相変わらず勢いよく舞い上がる紅葉たちを眺めながら。

今日のうちに全部落ちてしまうかもしれない。

 

また背中の後ろでドアの開く気配。

何気なくその方向を向いた。

「うわぁ!・・・」

一斉に注目を浴びてしまった。

タカナシだった。


「な・・・なんでこのタイミングでお前が登場するんだ・・」

慌てた顔で近づいてきた。

「なんでって・・・
こっちこそ、その驚き方にびっくりするよ。」

「あぁ・・・ちょうどお前のこと考えてたからな。」

「・・・・・」

タカナシが、ちょっと困った顔をした。


「あ、違うぞ。違うぞ。
未練とか、そういうのと全然違うぞ。

未練だったら、笑ってるはずないだろ。
おもしろいこと、思い出してたんだ。

さっき誰かが入ってきた気配がしたけど、
ドアの音がしなくてさ、それで・・・
思い出し笑いだよ。」


「あ・・・あのこと?」

「あぁ。」

「あは・・」


夏休みの間にゼミで数回会ったあと、
ほとんど会うこともなくなった。


「久しぶりだな。」

「うん。元気だった?」

「あぁ。」

「お前、またきれいになったな。」

「あ・・・ありがと・・・」

「なんか、反応が大人でむかつく。」

「・・・・」

「なんだよ。急に大人の女になりやがって。」

「な・・・なによ、それ。」

「やっぱり、恋は女を変えるな。」

「・・・・」

「あ、皮肉じゃないぞ。嫌みでもないぞ。」

「わかってるよ。
わかってるんだけど、こういう時にうまくリアクションできないのよ。
なんていうか、機転のきいた、パキッとした返し。」

「パキッて何だよ。
だいたいお前、オリジナルな擬態語多すぎなんだよ。」

「へ?・・・」

「わぁっ!!“へ?”って言った。」

「へぇ?・・・」

「お前・・・。ついに、俺へのバリアを解いたな。」

「・・・何?・・それ・・・」

「うんうん、固まらなくていいさ。
いい傾向だ。俺はもう大丈夫だから、
安心して何度でも、“へっ?”って言っていいぞ。」

「・・・・」

タカナシはインコみたいなまん丸な目をしてる。


「いいんだ。深く考えなくていいから。
まあ、ここに座れ。寒かったろ。」

「・・・・」


それでも素直に座ってしまうよな。お前って。


「はい、飛んで火に入るタカナシくん、
ここで質問です。」

「な・・・飛んで火にいる?・・・」

「その昔・・・
お前のそばにこんなイケメンの若い優秀な青年が現れて、
お前の恋人は、もしかしてやきもちなんか妬いたか?」

「・・・・ん?・・・」

「バカみたいな質問だとわかってるんだけどさ、
ちょっと参考のために聞きたいんだ。
くれぐれも言っとくけど、これはお前への未練じゃないぞ。」

「・・・えぇ~っと・・・」

「やっぱり妬いただろ。」

「うん。」

「やっぱり・・・そうなのか?・・・」

「うん。実は・・・すごく。」

「ほ・・・ほんとか?!・・・」

「・・・な・・なに?・・」

「いや、そりゃそうだよな。
俺みたいにかっこいいヤツが
自分の恋人に猛烈にアタックしてきたんだもんな。」

「・・・んふ・・・」

「それでさ、お前、揺れた?」

「へ?・・」

「俺に告白されてさ、ちょっとは心がときめいたとか、
俺のほうに心が動きかけたとか・・・
そんなことあった?」

「・・・・」

「あ・・あったのかっ?!」

「いえ・・あの・・・ごめんね・・・なかった・・・」

「あ・・・」

「あの人が、とても好きで。
それだけでいっぱいだったから。
あのときそう言ったでしょ。」

「あ・・・そうだよな。
そうだよな。
そうだよ・・・」

「でも、すごく反省したっていうか・・・
自己嫌悪になったっていうか・・・
あの・・・あまりにも鈍感だった自分が情けなかった。」

「・・・・んで・・もしかして・・・
もう友達に戻れないんだなとか・・・思ったか?」

「え?・・・」


タカナシが真顔になって俺を見た。
やっぱりそうなのか。


「うん。思った。」


「悲しかったか?・・・」


「・・・うん・・・」


「あの人に夢中でも?・・・」


「・・・うん・・・」


「タカナシ・・・」


「うん・・・」


「ありがとな。」


「ん?・・・」


「俺たち、今も友だちだよな。」


「え?・・・うん・・・そう言ってもらえると嬉しい。」


タカナシが、頬を少しあげて笑った。


「うん・・・そうだよな。」

「うん。」


俺たち、ちゃんと目を見て笑い合った。


ほんと、きれいになったよな。お前。

 

「なんか・・すまん。
いきなりこんな話になったな。」

「ううん・・・話せてよかった。すごく。」

「そうか。ほんとか?」

「うん。」

「でも・・・
お前、揺れなかったんだな。」

「んふ・・・うん。」

「俺、しつこいな。
なに言ってんだろうな。」

「・・・なにか、あった?・・・」

「タカナシ、お前、えらい!」

「ん?・・・」

「俺、帰るわ。
家の掃除しなくちゃなんない。」

「え?・・・」

「タカナシ。」

「はい。」

「俺さ・・・」

「うん。」

「あ・・なんでもない。」

「んふ・・・」

「タカナシ。」

「あは、なになに?・・・」

「今日お前に会えて、
すっげえよかった。」

「あ、私も・・・ふふ。」

「お前さ、このタイミングでここに来るなんて、
ちょっとは振った相手にすまないと思ったんだな。
なにか役に立とうと・・・」

「全然意味不明だけど・・・」

「いいんだ、それで。」

「とにかく私は、なにかサカキくんの役に立ったのね。」

「そうさ。」

「そう。それはよかった。」

「ありがとな。」

「いいえ、どういたしまして。」

「卒論進んでるか?」

「うん。まあまあ。」

「手伝ってやろうか。」

「いいえ、いいです。
早く帰って掃除して。」


おかしそうに笑った。

タカナシ、変だろ、俺。
そうなんだ。変なんだ。

 

「俺、マジで帰るけど、お前は?」

「あ・・・
駐車場で待ち合わせなんだけど、
まだ時間あるし寒いからここに来たの。」

「おう、そうかそうか。
なんだよ。そういうことかよ。」

「うん・・・」

「ゆっくりしてて待たせんなよ。」

「うん、大丈夫。
ここから見てたら芸術棟から歩いて来るのが見えるから、
そしたら追いかけようかって・・・」

「あは・・・
ごちそうさまです。
はいはい、俺は帰ろう。」

「・・・・」

「あは、タカナシ、心配すんな。
俺はもうマジで平気なんだ。
俺みたいなモテ男がいつまでも失恋の痛手を引きずってると思うか?」

「んふ・・・
今日はリアクションに困る質問ばかりです。」

「そうか、じゃあ今日はこれくらいにしといてやる。
ハタナカ先生が中間発表終わったら付き合えって言ってたぞ。
俺もお前もしばらくつきあい悪かったからな、
ちょっとあの人拗ねてるぞ。」

「あは・・・」

「3人で忘年会しようってさ。」

「あ・・・うん。」


そうは言っても、
お前、来ないかもな。
まあいいさ。俺が相手しておく。


突風が吹いたか、窓が大きく鳴った。

「わぁ~~、葉っぱ、すごいね。
ここから見ると、なんだか一斉に鳥が飛び立つみたい。」


お前・・・
同じこと言うなよ。


不思議だな。
こんなに気が合って、感じるものが同じだったのに、
あんなに長く一緒にいたのに、

お前には俺じゃなくて、
俺も、もうお前じゃない。


飛び立つ葉を見るようでいて、
実はそっと誰かを捜す横顔を残して、
音のしないドアに向かった。

 

「じゃあな。」

 

 

 

 

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