丘の上の純情  野分の章 2

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イム・ギュリという名前だそうだ。


ヒロかからら聞いたんじゃない。
彼から直接にだ。

俺の耳元10㎝で。


この展開をどう言ったらいいんだろう。


「イム・ギュリともうします。
どうぞよろしくおねがいします。」


いきなり日本語で言った。


「あ、はい。
こちらこそよろしく。」


俺はきっと愛想が悪かった。
でも、あれは妬いたんじゃない。
妬いてる余裕なんてなかった。

圧倒的に相手のペースで・・・
思い出すと、ちょっと悔しい。

 

ーーーーーーー

 

木曜日、駅のロータリーに迎えに来てくれたのは、
久しぶりに、運転手兼ボイラーマンのハセガワさんだった。

そうなんだ。
今日からヒロは韓国からの来客で忙しい。

ハセガワさん、また少し胴回りのかさが増えたかもしれない。
この狭いミニクーパーの中で、
へそのあたりがハンドルにつっかえてしまいそうだ。

ハセガワさんは、ロータリーを回った端っこのバス停で、
らしくない急ブレーキをかけた。

「チェッ。こんなところでいつ来るかわかんねえバス待ってんじゃあ、
ほんと、しょうがねえなあ。」


バス停にいたのはヒロだった。

正確に言うと、ヒロとその男だ。


彼は、体は大きくて俺と変わらない。
年だって変わらないはずなのに、
想像していたよりずっと大人の男だった。

背筋を伸ばして堂々と落ち着いていた。


急に俺の鼓動が高まった。


俺が降りてシートを倒すと、
彼はヒロをエスコートするように促して、
後部座席に先に乗せた。

その隣に座ろうとしながら、
シートの狭さに少し笑って、小声でヒロに話しかけた。
「うん」と言って小さく笑い返すヒロ。


この空間に同席するなんてな。


「ありがとございます
ぼくは からだがおおきです すみません」

「にほんに くることできて うれしです
チヒロのホテルに とまります
よろしく おねがいします」

大きな体と端正な顔だちに
おぼつかない日本語がミスマッチで
俺まで口元がゆるみそうになる。

「それじゃあお客さんだな。
ようこそ、我らのホテルへ。」

ハセガワさんが前を向いたまま言った。


狭い後部座席で密着するように座るヒロに、
あいつが韓国語で短く話しかける。

片言の日本語を話すときとは全く違う、
低くて男らしい声だ。
なのに、優しくささやくような静かさだ。

苦しくないかと言っているのか?

ヒロもまた小声で短く答える。
俺の知らない言葉で。


俺と、俺の気持ちを察しているであろうハセガワさん。
ただ前を向いていた。


到着すると、
ルーフにくくりつけた大きなキャリーバッグを下ろすハセガワさんを
彼はすぐにサポートした。

「お客さんだからいいよって言ってくれ。」

ハセガワさんの言葉をヒロが伝えたが、
「ありがとうございます」と言って笑いながら、
そのまま手を止めなかった。

大きなキャリーバッグを自分で下ろし、
丁寧に頭を下げた。

そんな一連の動きが落ち着いている。

外国に来た緊張や動揺を感じさせない佇まいに
たぶん今、俺は圧倒されてる。
悔しいけど。

ヒロはこんな男を、ほんとに振ったのか。


「お客さんにやってもらって、
ありがとなって言ってくれ。」

ヒロの通訳を聞いてまた笑顔になった。

「ありがとございました。」

彼がハセガワさんの手を握った。
あまりにさりげなかったので、
ハセガワさんは一瞬うろたえた。

「ありがとうございました。」

すっと手が伸びて、
今度は俺の手を握った。

しっかりと触れた手のひらから、彼の熱が伝わる気がした。

目を合わせた。
あまりにまっすぐな視線に捕らえられて、
目をそらせずにいた。

「あなたのなまえをおしえてください。」

「あ・・・サカキユウジです。」

「サカキ・・・ユウジ・・・さん・・」

彼がそこまで言った時、

「ギュリ、カジャ。」

ヒロが彼に呼びかける声が聞こえて、
その目に射すくめられていた俺の、
数秒間の金縛りが解かれた。

「・・オ・・・」

短いやりとりに漂うふたりの親密さが、
俺をいたたまれなくさせる。

ヒロはこっちを見なかった。

最後に笑いかけた彼の笑顔に俺は、
「んじゃあ。」
なんて言って背を向けて・・・

さえないな。


追い立てられるようにして二人と反対方向に向かい、
敷石を大股で踏んで歩いた。
玄関ドアを開けて、閉めた。

小さなため息をつく目の前にショウゴが立っていた。

「カキセン、遅かったじゃねえかよ。
早く2階に上がらないと、韓国のオトコが来ちゃうだろ。」


          もうホテルにチェックインしたさ。


腕を2階に向けてブンブン振りながら急かすショウゴ。

変なヤツだ。
俺たちがつきあい始めたと知ってから、
ずっとその話を避けてたくせに。


「カキセン、負けんなよ。
相手は飛行機に乗って外国まで追いかけて来るくらいだから、
絶対気合い入ってるぞ。」

「・・・こないだの続きだ。テスト作ってきたから・・」

「なあ、作戦はあるのか?
ばあちゃんなんか、
『まぁ~、韓国の男性は情熱的ね。』
なんて言ってるぞ。」

「・・・お前、予習しただろうな・・」

「そのオトコ、うちのホテルに泊まるぞ。
いいのか?カキセン。」

「・・・ほら、鉛筆出せよ・・・」

「ばあちゃんがさ、
カキセンと鉢合わせしないように、
うちのご飯に招待するのは明日にしようって言ってさ・・・」

「ショウゴ!!!」

「・・・な・・なんだよ・・・」

「鉛筆出せ。テストだ。」

 

 


ーーーーーーーーー

 

 

“さっきはごめん。
ショウゴの勉強終わったらメールください。
私が送って行くから。”

メールくれってことは、
家にいないってことだ。

彼といっしょにホテルの方にいるんだろうか。
メシでも食いながら話してるんだろうか。

まさか、部屋には行かないよな。

何考えてるんだ、俺・・・

「カキセンってば!!」

「お?・・」

「テスト、終わったんだけど・・・」

「あ、すまん・・・」


しっかりしろ・・・俺!

 

 

ーーーーーーーーー

 


“今終わった”

メールを打ちながら階段を下りかけたら、
すでにヒロは階下に立っていた。

目をそらしてしまった。

「俺が運転するから。」

「うん。」

おばあちゃんがリビングから出てきた。

「あら先生。リビングでお茶飲んでってくださいよ。」

「おばあちゃん、今日はサカキさん忙しいからもう送ってく。」

「え?・・・あら・・そうなの?・・・」

 

キーを受け取って、先に立って歩く。

敷石を踏んで行く俺の後ろ、
すぐそばからついてくる足音が、
とても大事なもののように思えた。


・・・信号は青ばかりだ。


「さっきは、ごめん・・・」

「いや、ハセガワさんにみつけてもらえてラッキーだったな。」

「ごめんね。」

「謝るようなことじゃない。」

「でも、すごくイヤな気分だったでしょ。」

「しょうがないよ。」

「だけど・・・」

「イヤだったさ。
平気なわけない。」

「うん・・・ごめん。」

「でも・・・ヒロが謝るようなことじゃないだろ。
あのな、これはただ・・・
ヒロの前に思った以上にイケメンで大人の男がプロポーズしに現れて
俺がすっげえ妬きもちをやいて、ちょっと慌ててるっていう・・・
それだけのことだろ。」

「・・・・」

ヒロが顔をこっちにむけて、俺を見たのがわかった。
急に恥ずかしくなった。
前を見たまま、ちょっと笑った。

「ユウジ・・・」

「ん?・・・」

「慌ててるの?」

「ちょっとな。」

「なんで?」

「イヤ、冗談だ。
だからさ、思ったより・・・」

ヒロが遮った。

「私が好きなのは、ユウジだよ。」

「・・・ん?・・・ほんとに冗談だ。」

「私が好きなのはユウジだけで、
今日だって、車の中でユウジの顔ばかり見てた。
明日もあさっても、ずっとユウジだけが好きで・・・」


車を路肩に寄せて止めた。


前を向いたまま、大きく息を吐いて、
それからゆっくり首を回してヒロを見た。

なんでそんなに必死な顔してるんだ。

わかめパーマの頭をくしゃくしゃにして、
そのまま胸に抱え込んだ。

お前・・・
ほんと、やせっぽち。

こんなふうにヒロの体に触れるのは、
酔っぱらって倒れ込む彼女を抱き上げて以来だった。

「ヒロ・・」

「ん?・・・」

「車の中って不便だな。」

「ん?・・」

「ちゃんとくっつけない。」

「・・・ん・・」

「ヒロ・・」

「はい。」

「あの人・・・
なかなかいい人みたいだな。」

「・・・そうかな・・・」

「もっとイヤなやつだったらよかったよ。」

「・・・・」

「そしたら・・・」

「・・・ん・・・」

「・・・・・」

ヒロが俺の胸の中から顔を上げた。

「そしたら・・・何?」

「そしたら・・・なんだろうな。忘れた。」

     そしたら・・・
     なんのためらいもなく、
     「あんなやつに渡すもんか」って思えたよ。
            

顔がすぐそばにあって、
キスしたい。


ヒロ・・
キスしたいよ。


何か言いたげにじっと俺を見つめる目は、

ヒロ・・・
お前もそれを望んでるのか。

そっと頬に触れた。

キスしたい・・・


ヒロの顔がすぐそばにある。
半開きの唇の誘いに耐える。


やっぱり、今はダメだな。

こんなに近いヒロの目を見て言った。


「ヒロ・・・」

「ん?・・・」

「おあずけだ。」

「・・・ん?・・・」

「ほんとは今すぐお前とキスしたい。」

「・・・・」

「でもさ、なんか、フェアじゃない気がしないか?」

「え?・・・」

「おかしいだろ。
でもさ、ヒロとあの人のいろいろが、
ちゃんとすんでからがいいんだ。」

ヒロがまだ意味をつかめない顔をしてる。

「あの人が来たからって、
慌ててヒロを自分のものにしようとするみたいでイヤなんだ。」

「・・・・」

息をのむ音が聞こえるような気がした。
ヒロの眉の間がかすかにゆがむ。

「私は・・・
キスしたいよ。」

「え?・・・」

「今、ユウジとキスしたい・・・」


せっぱ詰まった声で、そんなこと言うなよ。


「ヒロ・・・」

「・・・・」

「キスして。」

「・・・・」

「・・・・」

「揺れてるのか。」

「え?・・・」

「あの人に、もう一回プロポーズされたんだろ。」

「プロポーズじゃないけど・・・」

「気持ちが揺れて、
俺がいるんだって、自分に言い聞かせようとしてるのか?」

「何?それ。
どういう意味?」


ヒロの目が見開かれてる。


「そういう意味だ。」

「なにそれ?
言い聞かせるって・・・何?
私ははじめからユウジが好きなんだよ。」

「ヒロ・・・」

「知ってるでしょ!
違うの?
ユウジは、私の気持ち、信じてないの?」

「ごめん。
悪かった。」

「そうだよ!
ひどいよ・・・」

「ごめん・・・」

「何度も言ったでしょ。
勝手に揺れてるなんて決めないでよ。
なんでそんなふうに言うの?」

「ヒロ・・・」

「私はユウジが好きだって言ってるのに・・・」

「そうだよな・・・
悪かった。」

肩にもう一度腕を回して、
泣き顔を胸に抱いた。

ほんと、車の中は不便だな。
くっつけない。

「ユウジはどう?
ユウジは・・・・」

「好きだよ、ヒロ。
お前が好きで・・・好きで・・・
俺はどうにかなりそうだよ。」

「・・・・」

ヒロの頭が、コトンと俺の肩に押しつけられた。


「でも、今日はキスしない。
今日はしないんだ。」

「・・・・」

「ヒロ・・・」

「・・・わかった・・
しょうがないから我慢してあげる・・・」

「苦労かけるな。」

「んふ・・・ユウジのバカ。」

 

 

星のないこんな夜。

目の前に続く一本道は、
街灯に照らされて俺たちが向かう先を示していた。


なあ、ヒロ。

俺たちのこれからは、ほんとにこんなふうに一本道だと思いたい。
俺はお前とこの道を行きたいんだ。

だから・・大事にしたい。

 

わかめパーマからかすかに漂うお前の香りを、
気づかれないように、そっと味わう。


ほんと。
バカだよな、俺・・・

 


 

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