丘の上の純情  秋霖の章 3

 

 

 

 

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なんでこんなことで延々と迷ってるんだろう。

なんでもいいんだ。
俺なんか脇役なんだから。

迷うほど数もないワードローブのなかから、
結局いつもの組み合わせで出かける。

別に、ただ一緒に行くだけなのに、
ドラマでよくある“恋人のふりをしてください”ってやつじゃないのに。
なんでこんなにテンション上がってるのか、自分でもよくわからない。

とにかくこの1週間、頭から離れなかった。

彼女、チヒロが路上で派手に芝居を演じたあの母親と会う。
その婚約者にも。
なんだか俺も、その芝居の中で、ひとつ役を与えられたような、
ちゃんと演じなきゃいけないような気になってくる。

これまで経験したことのない変な緊張感で、
これを自分でもどうしたらいいかわからない。

でも・・・
はっきり気づいたことがある。

この1週間、あいつのことを思う時間が減った。

不思議だ。

“失恋を忘れるには、次の恋を・・・”
そんな簡単なことじゃないと思う。
しかも、これは“次の恋”なんかじゃないんだ。

なのに・・・

明らかに・・・
減ったんだ。

あいつに悪いなって思うほど・・・
いや・・・悪くはないんだけど。
ハハ・・・全然悪くない。

俺、何考えてるんだ・・・
わけわかんないや。

俺はきっと今、実験中だ。
とにかく告白したのも振られたのも初めてなんだから、
どんなふうに心が動いていくのか、
そのメカニズムを自分で実験している。

そう思うことにする。

ーーーーーーーー

街でいちばん大きなデパートの前で待ち合わせた。
ここが一番わかりやすい。

ちょうどなにか高級なブランドが、入ったすぐのド真ん中で
昼間からディスプレイの作業をしていた。

端から端まで真っ赤な布で覆い尽くして、
宝石を飾るための大きなステージができていた。
きっとこんなに広い空間に、小さなアクセサリーが二つ三つ、
恭しくちょこんと載せられるんだろう。

贅沢だな。

ふいに居心地の悪さを感じる。
早く来ないかな。

いつだったか、あれはゼミの休憩時間だった。
あいつにブランドの話をしかけたヤツがいたっけ。
あいつ、「ふぅ~ん、そうなの・・・」って
ニコニコしながら聞いていた。

「もしかして、アズミ、○○を知らないの?」って尋ねられて、
「うん、知らない。」って、あっさり答えたな。

「なんで?・・・○○を知らないなんて・・・」

そのブランドがなんだったか、俺もやっぱ思い出せないや。

ハハ・・・

タカナシ・・・

俺さ、今お前のこと思い出して、
けっこう苦しくない。

すげ・・・

向こうから、棒みたいな足をせかせか動かして、
やっと彼女が走ってきた。

ほんと、やせっぽち。
前髪、ほんとにギザギザだ。

おとなしめの服を着てる。
あぁ、こいつも相当迷った末に決めたんだろうな。
自然に笑いがこぼれてしまう。

「遅くなって・・・すみません・・・」

息をきらして、額に汗が噴き出している。

「お前な、こんなになるまで走らなくていいよ。
化粧落ちるだろ。」

「あ・・また・・お前って・・・言った・・」

息を切らして、それでも抗議してる。

「え?・・・」

「私・・・チヒロだから・・・」

「あ・・・ごめん。チヒロさん。」

「いいえ。」

「似合うよ。」

「え?・・・」

「相当迷っただろ、選ぶの。」

「あ・・・まあ。
なんでわかるの?」

「俺も迷ったから。」

「あ・・・ふふ・・・
似合ってます。」

「ありがとう」

「あの、レストラン、すぐそこです。」

「あ、はい。」

通りへ出ると、
チヒロは急に背筋を伸ばした。

「あの・・・実は昨日訊きました。」

「何を?」

「真相を。」

「あ・・・さっそく?・・・」

「父に訊いたんです。」

「お父さんに? すげぇ。勇気あるじゃん。」

「母はね、私を連れて行こうとしたみたい。
でも、おじいちゃんが許さなかったんだって。

すごく怒って・・・
裁判にするぞって。

父は自分が弱かったからだって、
すまんって、今になって謝ってくれたりして、
なんか変な感じだった。

母はすごく泣いて、お願いだから連れて行かせてって、
父に何度も頼んだんだって。」

「そうだったんだ。
今日までにわかってよかったな。」

「はい・・・サカキさんの・・・おかげです。」

「あ・・・そうか、俺のおかげか。
そりゃよかった。」

「ありがとうございました。」

「いえいえ、なんのなんの。」

「ふふ・・・」

「でもね、それならそうと父も母も、もっと早く教えてほしかった。
ムダに反抗して、あの人を悲しくさせて。」

「思春期だ。何がなくても反抗するさ。
親はな、子どもが思ってる以上にタフなんだ。
そんくらいの反抗で、へこんだりしない。」

「なんか、よく知ってるんですね。
先生みたいな口ぶり。」

「教授の受け売りだ。
ゼミ室で、他のヤツとの会話を聞いてただけだ。」

「ふぅ~ん・・・」

「行こうぜ、早く。」

急ぎ足で歩きながら
彼女が早口で説明しようとする。

本番前にレクチャーを受けてるみたいに。

「もともと父はサラリーマンで、ホテルを継ぐ気はまったくなくて、
看護師の母と私と3人で暮らしてたの。
小さなアパート、なんとなく覚えてるの。
でもホテルを継いでた伯父さんが・・・
父のお兄さんなんだけど、病気になってしまって、
猛烈におじいちゃんが説得して、お父さんもホテルの仕事することになったの。
お母さんも仕事辞めたの。
最初から無理があったって、お父さん言ってた。
あいつは看護師が天職なんだって。
反抗期になって、私が会おうとしなくなってからは、
あの人、海外の医療援助とか災害の救援とかそういうのばっかり行ってたの。
もしかして私のせいかもしれない。」

「いや・・・それは違うな。」

「え?・・・」

「うぬぼれるなよ。
そんなことだけで行くようなところじゃないだろ。
強い気持ちがないと行けないところだ。
お母さんはちゃんと志を持ってそこに行ったんだ。
なめてんじゃねえよ。」

「あ・・・」

ーーーーーーーーー

お前・・・

今日は頑張ったよ。

 

俺たちふたり、カウンターに並んで座っていた。

まわりは仕事帰りのサラリーマンでいっぱい。

さっき「おにいさん、とりあえずナマチュー!」って、
ハイテンションで注文した勢いはもうどこにもない。
ジョッキを覆う水滴を指でなでるだけ。

全然飲もうとしない。

足も棒みたいだけど、
手の指もこんなに細くて、
ジョッキなんか持ったら折れてしまいそうなくらいだ。

複雑な思いは、複雑な編み目の繭になって
チヒロの体をぐるぐる巻きにしている。
瞬きさえしてないんじゃないかと思うくらいだ。

かすかに水滴をなでている細い指だけが、
彼女が目覚めていることを伝えている。

お前・・・

頑張ったよ。

「固まってないで、飲めよ。」

「・・・うん・・・・」

「いや・・・
その前にお前、なんか食べろ。
そうじゃなきゃ痩せすぎで死んじまう。
さっきほとんど食べなかったろ。」

「またお前って言った。」

「うるさい。
そんなこともうどうでもいい。
ちゃんと腹いっぱいにしてから考えるんだ。」

「あ・・・」

「ん?・・・」

「そうかも。」

「なにが?・・・」

「おなかすいてるだけだったかも。」

「なにが?・・・」

「あんなにわぁ~~っとなっちゃったの。」

「うぅ~ん、腹が減っただけのせいにするには、
あまりにも情熱的だったけどな。」

「そうか・・・
そうだよね。
本能のままだった?」

「そうだな。
ある意味、本能のままだった。」

「やっぱり。」

「お母さんもあの人も、喜んでたよ。
娘の精一杯の送る言葉だ。」

「わかったようなこと言って・・・」

「だって実際そうだったんだろ。
ちゃんと考えてきたスピーチだったんだろ。」

「・・・・」

いきなりその細い指が意志を持って動いた。
ガシッとジョッキの柄を握り、
ゴクゴクと飲み始めた。

「おいおい・・・
鼻が泡で埋もれそうだぞ。」

プハァーッと息継ぎをした鼻の下に泡が載った。

「ヒゲ、生えてるぞ。」

「あは・・・」

豪快に手の甲でぬぐって、息をはいた。

「あはは・・・お前って・・・」

「だからお前って言うなー!」

「おい。速攻で酔ったのかよ。」

いいさ、酔ったって。

お前はほんとに頑張った。

ーーーーーーーー

相手の男性は、お母さんより少し年下のようだった。
お母さんとは勤め先の病院で知り合ったみたいだ。

「一から十まで教えてもらったんです。彼女に。」

「そんなことないわ。もともと優秀なドクターなの。」

お母さんに、以前からマジメな気持ちでつきあっている人がいることも、
二人で医者のいない島に赴任することも、
チヒロはすでに知っていた。
ただちゃんと紹介したいというお母さんのたっての希望だったのだ。

それは、こないだの路上のパフォーマンスに原因がある。

その直前に、彼女はお母さんのマンションのエントランスで、
二人のラブシーンに遭遇してしまったらしい。
一泊して帰る彼を送り出す休日の母親の姿に。

あんなにも子どもじみた反応をしたあと、
どんな顔して二人に会えばいいか、
そりゃあ誰でもいいから一緒に連れてきたくなるよな。

何気ない話で和やかにすごした。
赴任する島の話で盛り上がった。

近いうちに二人で来てくださいなんて、
彼に言われて、俺はなんて答えていいかわからなかった。

曖昧に、「はい、いつか・・・」だって。

でも・・・
チヒロがコースで運ばれてくる料理の
ほとんどに口を付けていないことが気になった。
具合でも悪いんだろうか。

デザートも終わり、コーヒーを飲んでいた。

「あの・・・」

みんなが彼女を見た。
いきなり立ち上がって彼に頭をさげた。

「母を、どうぞよろしくお願いします。」

おかあさんは驚いた顔で、
「ちいちゃん・・・」と言った。

「私がお母さんと別れて暮らすようになってから今日までに会った時間は、
多分、全部合わせても1年分にもなりません。
あなたのほうがきっとずっと多いと思います。」

「ちいちゃん・・・」

お母さんは口に両手を当てて、すでに目は涙でいっぱいだ。

「でもね、わかるんです。
母は私とよく似ているから。
きっといい年をして甘えん坊で寂しがり屋です。
仕事のことになるとすごく厳しくて妥協しないだろうし、
怖い顔になることもあるかもしれません。
でも、ただの人に戻ったら、
優しくて弱くて情けないところもいっぱいある・・・
なんていうか・・・
普通にいい人なんだと思います。」

一瞬、みんなシーンとした。

「はい、ほんとにそうだと思います。」

その人が立ちあがってそう言った。

「あ・・・そうですよね。
もうそんなこと、私より詳しく知ってますよね。」

「いや、まだそんなによく知らないと思います。
でも、チヒロさんの口からそんなふうに聞くと、
そういう人だと思った自分の感覚が合ってるんだなって思います。」

この人の優しそうな目が、
チヒロをホッとさせてるはずだ。

「あなたが、とてもいい人そうでよかったです。
母はほんとにこの15年、ひとりぼっちで頑張ってきました。
私は反抗してばかりで・・・・
ちっとも母の気持ちを・・・
わかってあげないで・・・
・・・・きついことばかり言ってきました・・・
・・・甘えてたんです・・・
だから・・・」

チヒロが、下を向いてしまった。


会う直前に「準備してることがあるから」と言った。
“ちゃんと言わなきゃいけない。
セリフ、間違わないようにしなきゃ”
って、冗談みたいに言っていた。

「こら、最後まで頑張れ。」

また顔を上げた。

「だから、母をよろしくお願いします。
今日は母を、私がお嫁に出す日です。」

最後になっていきなり
デヘヘ・・・と笑って見せた。
ひどい泣き笑いだった。

「んじゃあ、お母さん、行ってらっしゃい。
きっとそのうち行くからね。
私、これからこの人とデートなの。」

そう言って、いきなり俺の手を取って
部屋を出ようとした。

「ちょっと・・・なんだよ・・・」

「早く行こうよ。映画始まっちゃうよ。」

「なんの?・・・」

「あれでしょ!」

バカだな・・
こっちの打ち合わせはまったくなかったぞ。

華奢な肩を両手で掴んで、くるっと向きを変えた。

「ハグくらいしてからな。」

まるで荷物のように彼女を差し出した。
お母さんはためらいなく彼女を抱きしめた。
俺とその人はさっさと部屋の外に出てドアを閉めた。

二人並んで廊下を歩きながら、同時に鼻をすすって、
同時に「ふっ」と笑った。

「チヒロさんをよろしく。」

その人が並んで歩く俺の顔を見ながらそう言った。

「あ・・・はい。」

優しそうな人でよかった・・・

ただなりゆきでそこにいたはずだった俺。
心からそう思っていた。

ーーーーーーーー

「私はお前じゃなくて、チヒロ!
それに、聞くところによると3ヶ月私のほうがお姉さんよ。
敬語で話してね。」

ほんとに、ナマチュー半分で酔ったんだろうか。

「3ヶ月で、なんで敬語なんだよ。」

「韓国ではね、ちょっとでも早く生まれたら
敬語使って敬わなきゃいけないんだよ。」

「3ヶ月でも?」

「それは・・・よくわかんないけどさ。」

「はぁ・・・・
ほんとに・・・酔ったのか?」

「あたり前でしょ。
こんなに飲んだの初めてだもん。」

「こんなにって・・・
ナマチュー半分が?」

「もう・・・ほんとにもう・・・
バカだよね、私。
呆れたよね、あの人。
いい年して・・・
ヘタだなぁ、スピーチ。
あぁーーー!!」

まわりの客が一斉にこっちを向いた。
ナマチューでいきなりこんなになるヤツは初めてだ。
またジョッキに手が伸びたので
慌ててそれを奪って一気に飲み干した。

「何するのよ!」

「あ、すみません! ジンジャエールください。」

「なんで私の飲んじゃうの?
ジンジャエールなんていらないよ。」

「うん、いらなかったらまた俺が飲んでやる。
とにかく食べろ。
飲めないヤツが空きっ腹にビール飲んだんだ。
ちょっと慌てて何か入れてやらないと、
腹痛くなるぞ。
ほら・・・・」

豚の角煮、、シーザーサラダ温泉卵つき、枝豆、
小松菜の煮浸し、揚げ出し豆腐、モッツァレラチーズ&トマト、
おにぎり、串カツ盛り合わせ、焼きナス・・・
ふぬけのようなチヒロの代わりに、
いつもの自分の居酒屋メニューを片っ端から注文したんだ。

「次はこれ食べてみろ・・・」

言われるままに素直に箸を運んで一口ずつ食べていく姿が、
小さな子みたいで、かわいいと思う。

「おいしい・・・」

「そうか・・・よかった。」

「あなたがいてくれて・・・
よかった。」

急にそんなことを言った。

「そうだろ。今頃わかったか。」

「最初からそう思ってたよ。
今言っただけ。」

「そうか。」

「あのね・・・」

「なんだ?・・」

「お母さんと、ハグできて・・・
よかった。」

「そうか。」

「とっても・・・よかった。」

「うん。」

「ありがと・・・」

「あぁ。」

思わず触れていた。
うつむき加減でジンジャエールをなめる
3ヶ月だけ早く生まれたその頭のてっぺんに。

髪をくしゃくしゃにかき回した。

「お前、よく頑張ったよ。
今日はお前ひとりで母さんを送り出してやったんだ。
えらかったよ。」

「・・・・・」

ジンジャエールのグラスに口をつけたまま、
動きが止まった。

丸まった背中・・・

「・・・・えらかったよ・・・」

ふいに彼女の顔がゆがんだ。
カウンターに肘をついたまま、
両手で顔を覆って絶句した。

「あ・・・ごめん・・・」

顔を覆ったまま首を振るチヒロの肩を抱いた。
大きく息を吸って・・・吐いて・・・
ただ黙って泣き続けた。

肩を上下する彼女の深呼吸にあわせて、
ついこっちも息を吸って吐く。


泣けよ。

気が済むまで。

馴染みのにいちゃんが、
俺の前に黙って焼酎のロックを置いてくれた。

へたくそなウィンクまで添えて。

 

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