丘の上の純情  秋霖の章 1

 

 

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午後6時10分

駅のロータリーで、シャトルバスに乗り込む。
・・・・はずだった。

あ・・・そうだった。
今週からもう夜席はないんだ。

「来週から火曜日はまた、
あのぽんこつクーパーだからよろしくな。」

そ言ってニヤッと笑ったのはハセガワさん。

シャトルバスの運転手兼ボイラーマンだ。

「あは、はい。
楽しみです。」

思わずそう答えていた。

これが不思議に、ほんとに楽しい道行きなのだ。

大きな体の男がふたり、
オーナー夫人のミニクーパーに乗る。

「ふたり、遊園地のゴーカートみたいね。」

ホテルのスタッフたちに笑われ、
「またね、センセ~!」と見送られる。

しかし・・・・
現れたゴーカートのドライバーは、ハセガワさんではなかった。

いつもなら空間いっぱいに体を押し込めて満杯状態の運転席は、
今日はスカスカ。
華奢な女性がハンドルを握ってる。

誰だろう。

迷いなく俺の前で止まった。

降り立つと、思ったより背が高かった。

「あの・・・サカキ先生ですか?」

「はい。」

「ショウゴの姉のチヒロです。
ハセガワさん、ボイラー室を出られないんです。
ボイラー壊れちゃったみたいで、今修理の人が来ていて。」

「あ・・・そうですか。」

ショウゴに何度も何度も聞かされた“ヒロねえ”。
この人なんだな。
年は俺と同じくらいだろうか。

うっかり失敗してしまったみたいに短く切り込んだ前髪が笑える。
耳の横で揺れてるウェーブの髪がかわいい。

サザエさんちのワカメちゃんが
そのまま大きくなってここにいるみたいだ。

ちょっと色気づいて、初めて髪を染めてパーマかけてみた・・・

ほら・・・
そんなふうだよな。

ジーンズを自分でざくざく切ったようなパンツ。
白い膝小僧がのぞいている。
そして足元には、いつも俺が借りるデカいサンダルがあった。

俺のものでもないんだけど、
女の子に履かれると変な感じがしてしまう。

「どうぞ。」

「あ・・・どうも。」

車内は、かすかに甘い香りがした。

「えっと・・・、まず・・・」

「?・・・」

なかなか動き出さない。

「すみません。マニュアルの車って、教習所以来なので・・・・」

「え?・・・」

「いちいち考えないとわかんなくなるので、
今から話しかけられても返事しないかもしれないです。
ごめんなさいね。」

そう言って、ニッと笑った。

「ニュートラルで・・・・クラッチ踏んだまま・・・ブレーキ・・・」

キーを回したとたん、ブイィ~~~ン!!と激しい空ふかし。

「あ・・・・ブレーキとアクセル間違えた!・・・」

「俺、替わります。」

「へっ?・・・」

「!!・・・」

“へっ・・”なんて反応するやつが、あいつの他にもいた。

「俺は慣れてます。
家の車、じいちゃんの年代モノだったので、
こないだまでマニュアルだったんです。」

「わ・・・じゃあお願いします。」

心からほっとした顔してる彼女は
僕と同じタイミングでドアを開け、車の後ろを回った。
俺は前を回って運転席に向かった。

運転してみるとあらためて感じる。
ほんとにゴーカートみたいだ。
地を這うように進むクーパー。

「慣れてらっしゃるんですね。
私、日本で車を運転すること自体すっごく久しぶりなのに、
その上マニュアルだなんて、実は駅まで来るのだって、
もう死ぬかと思っちゃったんです。
ショウゴに一緒に来てって言ったんだけど、
絶対イヤだって言われてしまって。
“ヒロねえと心中したくないもん”だって。
でも、まあ、彼の判断は正しいですよね。
ふふ・・・」

助手席に回ってほっとしたのか、
それとも、沈黙を避けようとしてるのか、
彼女はよくしゃべった。
あいつと一緒だ。

あれは学祭の前の資材運びだっただろうか。
あの時俺は免許とりたてで・・・
思わず「頼むから黙っててくれ!」なんて言ったっけ。

「あ・・・ごめん。」って、
それっきり到着するまで無言だった。
あいつ、あの時きっと不安だったんだな。
なにかしゃべってないと、怖かったんだろうな。

ふふ・・・
初めて女の子を横に乗せたのに、ひどいもんだった。
今なら、いくらしゃべっても余裕で相手してやるのに。

あれから4ヶ月。

一緒にミコ先生のところに挨拶にも行ったし、
データ処理でジョーセン(情報センター)にも行った。
何度も会ってる。

会うたびに思う。
俺のそばにいたあの日までのあいつは、
もういないんだって。

あの頃と同じにニコニコしてても、
やっぱり違う。

もうあんなふうに無防備じゃない。

もう俺の前で寝たりしないし、
俺のこと、ぽかんと口を開けて見たりしない。

そして、「へ?」って言わなくなった。

俺のボケにつっこむのが、
これまでよりワンテンポ遅くなった。
ちゃんと考えてしゃべるようになったってことだな。

誰かが聞いたら笑うような小さな変化に、
けっこうへこんだりするもんだな。

打ち明けてしまった代償は、
こんなふうにちまちまと、俺の胸に喪失感を置いていく。

あいつが俺を置いて、
どんどん大人になって、
きれいになっていく。


「あの・・・」

「え?・・・あ、すいません。
なんですか?」

「いえ、あの・・・
アサコさんからの伝言なんですが、
今日もぜひショウゴと一緒に
お風呂に入ってやってほしいそうです。」

「あ・・・
そうですか。わかりました。」

「すみません。
アサコさんってば、いろいろ頼み事してるみたいで。
家庭教師の枠、とっくに超えてますね。
祖母から聞きました。
なんか、養育係のお兄さんみたいですね。」

「そんなかなぁ。
そんなかもしれませんね。俺は楽しいけど、
こんなに楽しくさせてもらってていいのかなって、
こっちが思ってます。」

「そうですか。
ありがとうございます。」

今日初めて会ったのに、
しっかり身内として詫びたり礼を言ったりしてる。

「留学、韓国でしたっけ。」

「はい。」

韓国か・・・

「お母さんのこと、名前で呼ぶんですか?」

「あ・・・・いえ・・・・
初めて会った時からずっとそうだから。」

「会った時?」

「私、父の一回目の結婚の娘。
だからアサコさんはママハハ。
小5の時だったから。」

「え?・・・
あ・・・・
そうなんですか。」

「今・・・
びっくりしましたよね。
絶句した?
大丈夫、私たち超仲良しなママハハとママコだから。」

「あ・・・
そうなんですか。」

「ふふ・・・はい、そうなんです。
だからご心配なく。」

ちらっとこっちを向いたけど、
またすぐに前に向き直った。

不思議なテンションだ。
ほんとに平気だからこんなふうに言ってるのか、
それとも、いつも意識してるからわざと元気そうに全部バラしてしまうのか。、
ちょっとよくわからない。

さっさと自分の境遇をしゃべっちゃうところは俺と似てるけど。

そうだな・・・
けっこう平気なんだってことにしよう。

「わかりました。
超仲良しでよかったです。」

「はい。だから安心してくださいね。
私、来年の春まではホテル手伝いながらここで暮らします。
また迎えに行く羽目になるかもしれないけど、
その時は運転よろしくお願いします。」

「あは、こちらこそ。」


信号が、なぜかずっと青だった。

「帰りは、信じられないくらい早かったです。
ほんとに同じ道のりだったなんて信じられない。
ワープしたみたい。」

ほんとに、したかもな・・・

週2回の家庭教師のアルバイト先は、
小さいけど歴史のある、ちょっと名の知れた高級ホテルだ。
客室は10室だけ。
6月半ばから9月半ばまでの3ヶ月間、
そのホテルの広い芝生の庭園は、毎晩ガーデンパーティーのようになる。
“夜席”と名付けられたディナーコースだ。

高台に立つそのホテルの庭からは、街が一望できる。
しかも山肌を通る風が流れて、
真夏でも夜は肌寒さを感じる日があるほどだ。

ビアガーデンとは違う上品な趣と腕のいいシェフの繊細な料理がウケて、
なかなか予約がとりにくい。
夏のはじめにテレビの取材が入ってからはなおさらだった。

この大忙しの夏の間は、オーナーもオーナー夫人も走り回っている。
だからショウゴの面倒は、先代オーナー夫人が一手に引き受けて・・・
ここにもひとり、いや、ふたりいた。
俺はつくづく、ばあちゃん子に縁がある。

「こんばんわ。」

ショウゴのばあちゃんは、とても若い。
うちのばあちゃんとは、ばあちゃんの種類が違う。

あ・・・こんなこと言ったらまたあいつが怒りだすな。
ふふ・・・

しかしほんとに若いんだ。
見た目より、たぶん10才は若く見えてるはずだ。
背筋がピンと伸びていて、
ほとんど真っ白になった髪に金のメッシュをいれている。
にこやかでゴージャスなばあちゃんだ。
そしてなにしろノリがいい。

「先生。お世話さまです。
今日もよろしくね。
超すごい恐怖体験を乗り越えて、ようこそ我が家へ。
ほんと、ごめんなさいね。
私が運転したら、絶対ヒロよりはうまいと思うんだけれど、
どういうわけか免許を持っていないのよ。
なんでかしらねぇ~。」

「はいはい、恐怖体験は自分だけでした。
帰りは先生が運転してくださったんだよ。
全然余裕だったの。
ショウゴは?」

同年代の人に先生と呼ばれるのは変な感じだ。

「あら、そうなの?
じゃあ、今度は私もお迎えに行こうかしら。
帰り道は先生の運転なんでしょ。
往きだけ我慢すればいいのね。」

「はいはい、往きは地獄で帰りは天国よ。
ねぇ、ショウゴは?」

「ん?・・・お部屋でしょ。」

「でも、あの子のくつ、ないよ。
さっき私が出るときあったもん。」

「あら、お部屋にいると思ったんだけど、
おかしいわね。」

部屋にはいなかった。
でも、すぐにわかった。

「きっとボイラー室ですね。」

「あ、そうね。」
「あ、そうね。」

女性ふたりは、自分たちの同じ反応に顔を見合わせて笑った。

「ちょっと見てきます。
おもしろそうだし。」

「はいはい。もしススだらけだったら、
そのまま二人でお風呂に入ってくださいな。」

「あ、はい。」

いつも借りてるサンダルは、
今彼女が脱いだばかりなのでためらわれた。

自分のスニーカーを履いて、
50メートルほど向こうにあるホテルの通用口をめざす。

ホテルは彼の遊び場だ。
なにかトラブルが起こったと知ると、すぐに飛んで行きたがる。
俺が来ていて勉強している最中でもだ。

お客さんが怒ってわめいてるとか・・・
そんな会話がドアの向こうでされてしまったら大変だ。
もうそわそわして、分数の約分なんかしてる場合じゃなくなる。
変なやつだ。
生まれつきのホテルマンなのか?
両親にとっては幸運といえるのかもしれないけど。

あれ?・・・

ショウゴが通用口を出てきた。

「修理、終わったのか?」

彼はなんだか不満げだ。
唇がとんがってる。

「ハセじいも修理の人も、全然顔とか黒くなってないしさ、
修理の人、コンピューターぴこぴこしてるだけでさ、
ハセじい、腕組みしてるだけだった。
フカンゼンネンショーしてないのに、
フカンゼンネンショーのランプがついちゃうんだって。
だからさ、大浴場も個室もちゃんとお湯が出るし、使えるんだって。」

「じゃあよかったじゃないか。」

「そうだよ。」

「じゃあなんで口がとんがってんだ?」

ショウゴがここまで来るのを待って、
一緒に家に向かって歩き出した。

「だって、全然修理って感じじゃないじゃん。
コンピューターぴこぴこだもん。
ハセじいもなんもすることないし、
僕もなんもすることなかった。」

俺は知ってる。
ショウゴは、腕まくりしてススだらけになって
スパナやドライバーをかっこよく操って
故障部分をがんがん直しちゃうハセじいが好きなんだ。
油の匂いが好きで、真っ黒になった手袋が好きだ。

家のガスのバーナーも、給湯器も、
水道の蛇口も、ハセガワさんの修理の手が入っていない場所はない。
そしてハセガワさんが修理するとき、ショウゴはいつもそばにいた。

この頃はなんでもコンピューター制御になって、
ハセガワさんの出番もうんと減ってしまった。
夏の間は夜席の客の送迎で忙しかったが、
これからは暇になる。

そのうちショウゴは、
家の給湯器をわざと壊したりするかもしれないな。
ハセじいの勇姿見たさに。
彼ならやりかねない。


   ・・・・・・

白濁した湯がたっぷりと入った大きな湯船に
並んでつかっていた。

「あのさ・・・」

「ん?・・・」

「うちのパパとカキセンの体、全然違うけどさ、
うちのパパも若いころはそんなふうにボコボコだったの?」

「うぅ~ん、ショウゴの父さんがどんなだったかは知らないけど、
トレーニングしてないと、若い人でもこんなじゃないんだ。
トレーニングしたから筋肉が大きくなって、
脂肪っていう、油っぽくて筋肉じゃない部分が少なくなったから、
こんなふうに見えるんだ。」

「ふぅ~~ん・・・・」

筋肉についての授業をしていると、二人とも湯だってしまった。
このまま夕食をごちそうになったら勉強どころじゃなくなるので、
なんとかその前に机に座らせて、宿題プラスアルファをし、
1時間あまりをすごしてから初めて夕食にする。

なんといっても彼が幼稚園の時からのつきあいだ。
ただ遊んでいただけの時間に
少しずつ勉強を入れていくのも結構骨が折れた。

俺が来たときの夕食は、ほとんど3人だった。
俺がいるからと安心して、
両親とも無理して食卓へ帰ることをしない。

ショウゴがもっと小さい頃は、眠るまでそばにいた。
彼が離してくれなかった。

ちょうどあの姉さんが韓国に行ってしまった直後だったんだな。
そりゃ寂しかったよな。

今日は彼女がいるから4人の食卓だ。
にぎやかな食事の最中に、
なんの脈絡もなくショウゴが切り出す。

「あのさ、カキセン・・・・
ヒロねえってかわいいだろ。」

「は?・・・」

「ショウゴ。
そういうこと言うのやめなさい。」

「なんだよ。
自分でもかわいいって思ってるくせに。」

「ショウゴ!」

「照れなくてもいいってば。
なっ、カキセン、かわいいだろ。」

「うん。そうだな。」

「ほぉ~ら。やっぱそう思うだろ。
だからさ、カキセン、ヒロねえと結婚すれば?」

「ぶはっ!!」

盛大にご飯を吹いたのは俺じゃない。
彼女でもない。
ばあちゃんだった。

「あら、ごめんなさい。
失礼・・・
でも、入れ歯までは飛ばなかったわ。
よかったわ。
おほほ・・・」

「大丈夫?・・・
もう、ショウゴのせいだからね。
へんなこと言うのやめなさいよね。」

「なんだよ。睨むなよ。
帰ってきたときは、
『きゃー、ショウゴ、大きくなったぁ~』って、
僕のこと抱っこしてチューしたくせに。」

「あのころのかわいいショウゴのままだと思ってたからよ。
こんなに生意気になってるって知ってたら、しなかったわよ。」

「だからぁ~
ヒロねえはカキセンのことどう思うの?
イケメンだって思ったでしょ。
一学期の家庭訪問の時、ちょうどカキセン来てたんだ。
そしたら次の日、先生すごかったよ。
『あのお兄さんは誰?かっこいいわね。』とか言っちゃって。
ふたりの子持ちのくせに。」

「ショウゴ、そんな失礼な言い方しないの。」

「おばあちゃんだってカキセンのこと好きでしょ。
カキセンが来る日はいつもよりきれいにしてるじゃん。」

「ショウゴ、もうそのくらいにしろ。
俺はさ、最近すっげぇ好きだった女の子に大失恋してさ、
まだその傷がまだジンジン痛いっていう情ないヤツなんだ。
だからそういう話題にはふれないでくれ。
なんでこんなイケメンがふられちまったんだろうって、
マジで泣きそうになるから。」

「・・・・」
「・・・・」
「・・・・」

この場を適当にしのごうと思って言ったのに、
なんかマジな空気になったかもしれない。
困ってしまう。

「あ・・・、みんな黙らないで。
あ・・・俺、ほんとはそんなに・・・
いや・・・へこんでるんっすけど・・・
あはは・・・」

「あらまぁ・・・それはそれは。」
「へぇ、そうなんだ。」
「よっしゃ、じゃあヒロねえとつきあえよ!」

ブハッ・・・・

今度は俺が盛大に咳き込んだ。

 

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