丘の上の純情  秋霖の章 2

 

 

 

 

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 何もない日曜だった。

9月・・・

民間企業に行くヤツはとっくに行き先が決まり、
教員採用試験や公務員試験を受けたヤツが最後に結果を受け取って、
院へ進みたい俺みたいなヤツも、中途半端な時期にコソッと進路を決めて、
あとはいよいよみんなが卒論の追い込みだ。

その前のひとときの休息のように、
残り少なくなった最後の夏休みを過ごしていた。

8月の終わりのインカレを最後に、
大学のプールにも行っていない。

大会的には平凡な記録で決勝に進めなかったが、
自己ベストが出て、自分では満足している。

それに、準決勝まで行ったというだけで、
体育会がのんびりムードな大学としては快挙だったらしい。
なんと大学から報償金が出た。
3万円。

みんなを連れて勇んで飲みに行ったが、
3万じゃあ当然まったく足りなくて、
俺のバイト代はあっさり消えた。

でも、楽しかった。

「明日も・・・プールに・・来てください・・・」
後輩が泣いたりした。

行こうかな。

なんとなく家を出て、駅へ向かった。
探したい本もあった。
少し古いもので、図書館をハシゴしたが見つからなくて、
ネットにもない。
古本屋街に行くのもいいかな。

駅へ降りる階段の向かいにスタバがある。
ただ気が向いたという理由で、店に入るのもいいかもしれない。
女の子と一緒なら、もっと楽しいんだろうか。

でも・・・
やっぱり、あいつ以外とはイメージ湧かないな。

ーーー 俺、
思った以上に重症だったかもしれない ーーー

はっきりケリをつけられてよかったと思った。
ちゃんとあいつの気持ちを聞いて、
“参りました”って素直に思えたし。
だから、明日からはすっきりといくぞって、
思ったんだ。
あのときは・・・

なのに、あれからしばらくは苦しくて
朝起きて、大学へ行くのが大変だった。
体がだるくていつものように動かない。

この俺が、こんなふうになるなんて・・・
笑えた。

泳いでも、タイムがひどいもんだった。
さすがに焦った。
泳いで泳いで、泳ぎまくった。

プール ー ジョーセン ー バイト ー 家
この間に、ゆっくりする時間を入れないようにした。

帰ったらすぐに寝た。
用がない限りゼミ室に行かないようにした。
あいつと歩いた学内の道を避けた。

学食に行かずに、途中のコンビニで弁当を買った。
水泳部の部室で食べると、後輩たちがそわそわした。
悪いと思ったけど、気づかないふりをした。

もう元には戻れないんだ。

タカナシ、俺はこんなに苦しいんだ。
だから、お前になんか会いたくない。

来るなよ。
腹が痛くなったとか言って休めよ。
夏休みなのに、
こんなマニアックなゼミに、
マジメに出席するなよ。

タカナシ・・・

もとに戻りたいよ。

時計を逆に戻せたらいいのに。
そして、打ち明ける前に、
お前と彼の事実を誰かが教えてくれたらいいのに。

そしたらお前はこれまでと同じように、
俺の前でも平気で寝て、
「へ?・・・」って返事して、
ぽかんと口開けて、俺をみつめて・・・

俺は、お前なんか全然好きじゃないふりして
その頭をクシャクシャにいじって・・・

タカナシ、俺はかっこ悪いよ。

だからお前になんか会いたくない。

    ーーーーーーー

結局スタバでラテを飲んでる。
店内が混んでいて、テラスに出た。

さすがに9月にはいると、
日陰はかなり凌ぎやすくなる。

マンウォッチングをするには、
歩く人との距離が近すぎるな。
なんか、こっちがサラシモノになってる気がしないでもない。

そんなことを思って、
居心地の悪い気分になっていたら、
すぐ目の前の歩道でいきなり非日常的なシーンが始まった。

地下鉄への階段を降りようとする一人と、
それを食い止めようとする一人。

「あ・・・・」

降りようとするのは、
ショウゴの「ヒロねえ」だった。

二人はまるで、
舞台上で迫真の演技をする女優のようだった。

それならテラスに座る俺たちは、
それを見に来た観客だ。

思わず本を読むふりをして、顔を隠した。

3メートル先でやりとりされるセリフは、
リアルなようで、やっぱりどこか芝居じみていた。

“ちょっと待ってよ。
せっかく会えたんじゃない。
お茶でも飲みましょうよ。”

“いいよ。忙しいんでしょ。
お邪魔だったよね。ごめん。
私も忙しいの。することいっぱいあるの。”

“うそ、私にわざわざ会いに来てくれたんでしょ。
そうでしょ。”

“違うわ! ちょっと通りがかっただけだもん。
だって、いつもいないじゃん。
こんな時間にいるなんて思ってないもん。”

その人が、顔に穏やかさを増してヒロねえを見た。

“そうよね。いつもいなくてごめんね。
だからこそ、今日やっと会えたんだもの、
話したいの。
そうよ、今日しかないわ。
あのね、また行くの。
今度は日本の中だけど。
だからお願い。お茶しましょう。
どうしてもあなたと話がしたいの。
どうしても聞いてほしいことがあるの。
聞きたいこともたくさんあるの。
ねっ・・・ちいちゃん。”

“・・・・”

「ちいちゃん」と呼ばれて、
彼女が一瞬動きを止めた。

一目で母と娘だとわかる、
そっくりなふたり。

親子って不思議だ。
顔の造作だけじゃなくて、肩から首筋・顎に向かうラインや、
歩き方、姿勢・・・・
そんなものが似るんだ。

そして紛れもなくこの二人は繋がっているのだと、
見る人に思わせてしまう。

心も繋がっているかどうかは別にして。

俺も、年に何回かしか会わないで今日まで来たのに、
オヤジとそっくりだって言われる。
自分でも認めざるを得ない。
笑えるくらい似るもんなんだ。

こんなに縁が薄くても・・・

「ちいちゃん」と呼ばれたからか、
急に勢いをそがれて彼女はおとなしくなった。

そんな彼女の肩を抱いて、
母親は店に入っていった。

どうしよう。

気づかれる前に席を立とうと慌てる。
ダストボックスが遠い。
ラテのカップを手に持ったまま迷った一瞬のあとに
いきなりポタポタと雨が落ちてきた。

テラスの客は慌てて立ち上がり、バタバタと店の中へ急いだ。
俺だけがカップを持ったまま歩道を横切り、
地下鉄への階段へ向かう。

ほんの数秒なのに、
肌にシャツがはりつくほど肩が濡れた。

あんなにいい天気だったのに、
9月の空は気まぐれだ。

彼女たちが濡れなくてよかった。

 

ーーーーー

次にショウゴのところへ行ったのは2日後だった。
駅で迎えを待つ。

ミニクーパーに乗ってるのが、
どうかハセガワさんでありますように。
マジで祈りたい気分だった。

そして、そういう時に限って彼女なんだ。

降りた彼女と入れ替わりに、
前から回って運転席に乗り込んだ。
当然のように。

一つめの信号が赤だった。

「こないだ、見てたでしょ。」

「え?・・・」

「私と母のいざこざ。」

「あ・・・」

「はずかしいところ、見せてしまいました。」

「みつかってたか・・・」

なんか、俺、マヌケな答えだ。

「はい、慌ててお店出てって・・・
雨に濡れちゃいましたね。
すみませんでした。気を遣わせちゃって。」

「いや・・・」

「母なんです。
久しぶりに会ったの。」

「あぁ、うん。
お母さんだってすぐにわかった。
よく似てるもんな。」

「うん・・・
そっくりでしょ。」

「あぁ。若くてきれいなおかあさんだな。」

「・・・・」

「日本に帰ってきてから初めて会った?」

「はい。」

“はい”だったり“うん”だったりする。

「今日まであんまり会わずに来たの?」

「昔は・・・、月に一回会ってたの。
小学校の間は。
それからちょっと反抗しちゃったっていうか、
いろいろあの人に対して不満がたまってきちゃって。
私から会いたくないなんて言っちゃって。」

「不満?」

「不満ていうか、なんていうか・・・
なんで私のこと置いてったのかなとか・・・
そういうこと考え始めちゃって。
それがきっかけかな。
そしたらモヤモヤしてきちゃって。
あ・・・何言ってんだろ、私。
すみません。
これ、言わないでください、おばあちゃんたちに。
父にもアサコさんにも、誰にも。」

「わかるよ。」

「はぁ?」

「その気持ち。」

「・・・・
わからないと思いますけど。」

「ん?・・・」

「簡単にわかるなんていわないでほしいです。
そんな簡単なことじゃないから。」

「・・・そりゃ・・・そうだよな。」

「すみません。
そもそも私がこんなこと人にしゃべっちゃうのがいけないです。
忘れてください。
失礼でした。
ごめんなさい。
この話、忘れてくださいね、ゼッタイ。」

「はぁ・・・
しょうがねえな。」

なだらかな上り坂になった辺りで空き地に車を止めた。
エンジンを切った。

彼女の顔が、バリアを張りながら「なんで?」て言ってる。

「うそじゃねえよ。
俺さ、マジでわかるの、その気持ち。
同じ身の上だから。」

「え?・・・」

驚いた顔から、バリアが少しとけた気がした。

「俺の母親、俺生んですぐに死んだんだけどさ、
そのあと俺は母方のじいさんとばあさんに引き取られたんだ。、
今はオヤジは再婚して、女の子が二人いる。
物心ついた時には別々に暮らしてたから、
置いていかれたとか出て行ったとかいう実感はなかったんだけどさ、
俺と一緒に暮らしたいとか思わなかったのかなとか、
俺が邪魔だったんだろうなとか、
あれこれ思ったことあったよ。」

「そんな・・・」

ぼーっと俺を見る顔が誰かとダブる。

「すみません、
ひどいこと言っちゃった。」

「いや、謝らなくていいよ。
いないよ普通。
こんな話をした相手が、
“自分も同じ身の上だ”って言う可能性なんて、
限りなくゼロに近いよ。
俺たちの場合は、超スペシャルな偶然だ。
マジでびっくりだよな。
俺に会えてよかったって、後でしみじみ思うよ、きっと。」

「ふふ・・・
もう思ってます。」

「そうか、そりゃよかった。
ハハ・・・
それにさ、あんたの場合、両親は二人とも元気に生きてる。
恨み言を言おうと思えばいつでも言える。
どっちもちゃんと聞いてくれそうだ。
気になることは全部訊いてみたらいいんじゃねえか?」

「サカキさんは訊いてみたんですか?」

「何を?」

「だから、気になることとか・・・」

「あ・・・俺は・・・全然言ってない。
ハハ・・・。
でもな、ばあちゃんが最近になって教えてくれたんだ。
ばあちゃんも、昔話をしたくなったみたいで。
オヤジ、妻が死んじゃったショックで、
ご飯食べないし会社にも行かないし、
俺のこと抱っこして何日もぼーっとしてたんだって。
始めは俺だけ連れて帰ろうとしてたんだけど、
オヤジのほうが危なくて、
それでじいちゃんとばあちゃんが、
狭いアパートでしばらく一緒に暮らしたそうなんだ。
でもさ、そんな生活すぐに限界が来るだろ。
赤ん坊の面倒を見るから、
あんたはちゃんと会社に行って仕事をしなさいって、
そう言ったらオヤジ、オイオイ泣いたらしいよ。
連れて行かないでくれって。」

彼女が手のひらを口に当てた。

「でもさ、オヤジもわかってたんだろうな。
新生児だぞ俺。
自分で育てられるわけないしな。
どうするのがいいのかわかってて、
なかなか受け入れられなかったんだな。
よく考えたら、まだ若い青年だ。
俺とそんなに年変わらないんだ。
幸せの絶頂のはずだったのに、
妻が突然死んじゃって、赤ん坊とも一緒に暮らせない、
メチャメチャ不幸な青年だったんだ。
そう思ったらもう、全部許せるだろ。
あんたも大変だったんだなってさ。」

今度は両手を口に当ててじっとしている。


「・・・・」

「大丈夫か?」

「ダイジョブ。
ありがと、そんなお話・・・聞かせてくれて。」

「どう? 勇気が湧いてきた?」

「え?・・・」

「聞いてみたらいいんじゃないか?
お母さんじゃなくて、
たとえばおばあちゃんとか。」

「そう・・・ですね・・・
そうしようかな・・・
そう・・・する・・・かもしれない・・・」

「ハハ・・・焦らなくても、
いつかな。」

「はい。」

こっちを向いて笑った。

目はうるうるだけど、
やせっぽちなのに、笑うと頬だけはぷっくりとふくらんで、
小さなつぼみがポッと咲いたみたいになる。

いつも笑ってろよ。

エンジンをかけた。

彼女が少しあわてたように目をこすって、髪を耳にかけた。

また車を道に戻したところでポツポツとフロントガラスに落ちたと思うと、
あっという間に大柄な水玉模様になった。

「また雨だな・・・」

「はい・・・」

せわしいワイパー越しにホテルが見えた。

「でも、恨み言だけは、本人に言っちゃったんだよな。」

「うん・・・
少し・・・言っちゃったけど・・・
出し方がヘタすぎて、あとでへこむ・・・」

「わかってくれてるさ。」

「そうかな。」

「そうさ。」

ホテルの門をくぐる頃にはもう小やみになっていた。

「雨、もう止んだんだな。」

「違います。」

「え?」

「雨雲が通り過ぎて行ったの。」

「あ・・・」

「いえ、それも違うかな?」

「ん?」

「雨雲の下を、私たちが通り過ぎたのね、きっと。」

「わぁっ!」

街を見下ろすと、雨雲に覆われた場所だけくっきりと陰になり、光が射していなかった。
その陰は丘の途中までかかり、灰色に煙るようにして雨のベールが降りている。

「すごいな・・・」

「見たことなかった?」

「あぁ。
あの中を通って来たのか。」

「はい。9月って、よくこういうのあるの。」

「プールに入る前のシャワーみたいだな。」

「は?・・・」

「あの中に入ってびしょ濡れになってみたいな。」

「・・・」

「そう思わないか?」

「思わない。」

「ハハ・・・」

ショウゴの大声が聞こえた。

「こらぁ~~カキセ~~ン!
早く来~~い!」

「ショウゴってば、ホテルに向かって大声だして・・・
あとで絶対父さんに叱られるわ。」

「ハハ・・・」

9月の夕日が差して、先を行く彼女を照らした。
耳の横のふわふわな髪が、揺れて光った。

ーーーーーー

ショウゴのヤツは、好きなテレビが始まったら見送りなんかしないで
テレビ画面見ながらバイバイって手だけ振る。

「コノヤロー、ちゃんと目を見て挨拶しろ!」って言うと、

「先生、“コノヤロー”はやめていただきたいですわ。」

なんて、急にあらたまったばあちゃんに、
ウィンクしながらクギを刺される。

クギを刺しながら

「ショウゴ、先生にちゃんとご挨拶しなさい!」

って、結構ハードに怒るんだ。

しぶしぶ「ありがとうございました。」ってお辞儀するショウゴ。

やれやれだ。

ため息をつきながら玄関を出ると、
彼女がエンジンをかけて待っていた。

帰り道も練習したいからって、
送りも彼女が買って出たらしい。

でも、やっぱり俺が運転席だ。

「だって私、運転しながらしゃべれませんから。」

そりゃそうだ。

はじめての信号がまた赤だ。

「お願いがあるんです。」

「なに?」

「今度母に会うとき、一緒に行ってもらえませんか?」

「え?・・・なんで?」

「会わせたい人がいるって言われたんです。」

「あ・・・」

「再婚するそうで・・・」

「え?・・・あ・・・そうなのか・・・」

「実はもう会ってるんですけど、
一瞬だったから、あらためて。」

「そうなのか・・・」

「一緒に行ってもらえませんか?」

「いいよ。」

「あ・・・ありがとう・・・ございます。」

「もっとためらうと思った?」

「はい。」

「おもしろそうだしな。」

「はい?」

「君がどんな顔してどんなこと言うのか、楽しみだ。」

「ふふ・・・
そんなこと言って、
きっとその場になったら
一生懸命フォローしてくれたりするだろうな。」

「そんなこと思ってるのか?
甘いな・・・」

「ううん、きっとそう。
きっと・・・」

「守ってほしいのか?
なら行かない。」

「え?・・・」

「お母さんには、ちゃんと自分の言葉で自分の気持ちを言えよな。
俺は見てるだけだ。
あとでいくらでも話聞いてやるよ。
愚痴だって聞いてやる。
だけど、そこでは全部自分でやるんだ。
お前ならできるよ。」

「お前?・・・・」

「お前ならできる。」

「・・・はい。」

「じゃあ行こう。」

「はい。よろしく。」

「まかせとけ。」

「ふふ・・・」

信号が青になり、
後ろのでっかい四駆にププッとせかされた。

 

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