『そや☆コリ』6彼女はホサンで逝きました

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棺の中にいれさせてもらえないかと、
博多みやげの小さな包みを持っていきましたが、とうとう言い出せないまま持って帰りました。

 

 

 

お盆明け、授業再開の日、

私が旅行や法事で二週連続欠席したあとに、お盆で授業が休みになった。
だからみんなと会えるのは1ヶ月ぶりだった。
朝から嬉しかった。


ひとり、闘病中のメンバーI子さんの、
お盆休みの間の体調が気がかりだったけど・・・

休み前までちゃんと授業に出てたみたいだし、
大丈夫だよな。
そう思っていた。


彼女とは、授業の帰り道、
おしゃべりしながら2人でデパ地下を通り抜けることが多かった。

通路の分かれ道で、
地下鉄の駅へ向かう私と、その日の晩ご飯を買う彼女、
いつも話が途中になって別れがたい。

「ほんじゃあワム先生のお祝い、私行かれへんけど、
しっかりお肉食べて、夏を乗り切る元気つけてね。」

私はそう言った。

「どんだけ食べれるかわかれへんけどね。
とにかく私はそこにちゃんと出席できるように頑張るわ。
これから一週間、そのためにぐうたらしとくわ。あはは。」


「今度会うの、1ヶ月後になっちゃうけど、
ほんとにちゃんとぐうたらしといてね。
がんばりすぎたらダメですよ。」


「わかった、わかった・・・」


そんな会話で別れた。

 


   ・・・・

 


授業は午後からだ。
午前中、職場で打ち合わせ中に、
メンバーの一人から電話がかかった。


彼女の急死の知らせだった。

 

電話の向こうとこちら、
次の言葉が続かず、
延々と沈黙が続いた。

やっと
「ワム先生、家の電話にかけても繋がらなくてね。
あの人携帯持ってへんし・・・
私、今日遅くなりそうやから、
時間通りに行けたら、シータさんから伝えてもらえる?」

「うん。」

「くわしいことは、あとで。」

「うん。」

 


先生はもう到着していて、ロビーで待っていた。

会議室の鍵を持って近づくと、

 

「わぁ、めずらしい。早いですね。」

「はい。」


泣きそうになった。


歩きながら
振り返って陽気に尋ねる。


「ヨヘン ウン オッテッソヨ? ハタカ?」
 旅行  は  どうでしたか  はたか?


「ハタカガ アニラ   ハカタイエヨ。
 はたか  じゃなくて 博多です

ノムノム チュルゴウォッソヨ。」 
とっても 楽しかったです 


あぁ・・・
今わたし、緊張した顔してるだろうな・・・

 

部屋に入るとさっそく机やいすの並び替えをする先生に向かって言った。

 

「先生。」


「はい。」

いつもの軽やかな返事だ。


「I子さんが、亡くなりました。」


「え・・・」


2人黙って立っていた。


きっと短い時間だったと思う。
すぐにドアが開いて、窓口に寄っていた別のメンバーが来た。

 

「今、先生に言いました。」

「今、聞きました。」

 

そのあとはもう電話がかかったりかけたり相談したり、
人が次々来たり・・・
段取りばかりで時間がすぎる。

そして、お通夜に行く待ち合わせや香典などの段取りがすっかり整った。


用のあるメンバーがバタバタと先に帰って、
この日は早い時間から、メンバー2人と先生、
たった3人になってしまった。


先生がぽつぽつつぶやく。


「変な感じですね。
その席はI子さんの定位置でした。
もう座ることはないんですね。」


「そうですね。」


「これが彼女の最後のパダスギ(書き取りテスト)です。
いつも100点が多いのに、最後は全部間違っています。
こんなのは初めてですね。」


「あ・・・ほんとだ・・・・」


「そのとき、一人じゃなくて、
妹さんと一緒だったのかな。
それとも、つらいって知らせたらすぐ来てもらえたのかな。」


「・・・・・」

 

 


I子さんは、67才。
未婚だった。

ワム先生が博士論文合格の報告をしたあといきなり授業を始めた時、

「なんやいな、授業に入ったんかいな・・・
いきなりやがな。あはは。」

そう言った彼女だ。(『そや☆コリ』②僕、卒業しました)


長い介護の末に両親を見送り、
やっと自由な時間を過ごすようになってからまだ数年だった。

一人暮らしとなってから、韓国ドラマと旅行を楽しむ生活をしていた。

韓国語を一日中勉強していたと言って、
「好きなことを好きなだけして暮らせるって、ものすご幸せ。」
と、嬉しそうに話した。


1年ちょっと前に病気がわかって手術をし、
3ヶ月ぶりにかつらをかぶって復帰。

パワーは少し落ちたけど、精力的に勉強していた。

でも、先生にガイドしてもらう韓国旅行の話が出ると、

「うぅ~ん、私は絶対行けるって言えへんからね~。」

 

授業中にアラームがなり、たくさんの薬をその場で飲んだ。
それに合わせてみんなもお茶を飲んで休憩した。

自分は食べられない日も、お菓子を買ってみんなに振る舞った。

 

6月に腹水がたまりはじめた。
お腹を見せて、

「こんななってしもてん・・・。
苦しくはないねんけどな、あぁ~~って思うわ。」


先生の博士論文合格祝いで焼き肉屋に行ったのが7月31日
楽しく食べてしゃべっていたそうだ。

その次の8月7日が彼女の最後の授業となった。

その日、
「私が来れへんようになったら、
先生の実入りがまた減るやんかなぁ~。」

そんなことを言っていたそうだ。


お盆休みのある日、
メンバーのもとに電話が入った。

「メンバー募集のチラシを作ってみたんよ。
でもね、お盆でちょっと疲れてね、
薬飲んだらまた元気になると思うねんけど・・・
もし今度の授業に行かれへんかったらあかんし、
原稿、メールで送るから印刷してくれる?」

 

その電話の4日後に亡くなった。

 

「私は家族がいないから、
妹とその家族にはどうしても世話にならなあかんねんけど、
とにかく最小限になるように、そればっかり思うわ。

妹には愚痴は言わへんようにしてるねん。
そやから、ここだけやねん、私がぼやいたりできるの。
ちょっと言わしてや・・・ごめんね・・・」

でも、ほとんど愚痴は言わなかった。
そのときどきの事実を報告していただけだった。

 

ワム先生は特に優しくもなく、冷たくもなく、
淡々と励ましていた。

「この薬は、飲むのは大変ですか?」

「今、どこか痛いですか?」

「髪の毛、前と同じです。戻りましたね。」

「今日、顔色いいです。」

「大丈夫です。愚痴、ここで言ってください。
僕もたくさん言っています。あは。」

「来週も来てください。」

 


   ・・・・・・・

 


ワム先生が言った。

「I子さんはすばらしいです。
このようによく生きて死んだ人を送ることを、
ホサンと言います。」


ホワイトボードにハングルが書かれる。

その文字を辞書でひくと「好葬」とあった。


あと数時間でお通夜。

ホサンで送ろう。

 

 

授業はもうほっぽらかして、いろんな話をした。

 

「先生は、日本でお葬式に行くのは初めてですか?」

「二回目です。
修士の時、友達の大叔母さんが亡くなりました。
95才でした。」


「それは大往生ですね。」


「そのとき、その人の身近な親戚は彼だけでした。
彼の家族はみんなアメリカで、
彼自身もアメリカで生まれ育って、こっちに留学してたんです。」


「それは大変・・・」


「亡くなった知らせを聞いたとき、
一人で行くのは怖いから一緒に来てくれって言われたんです。
病院の霊安室で、大叔母さんのベッドの横に二人で座っていました。」


「いきなりすごい体験ですね。
先生は、亡くなる前にその大叔母さんには
会ってらっしゃるんですか?」


「いえ・・・
お見舞いに行きたいと言ったら、
『韓国人には来てほしくない』と言われたので。」


「え・・・」


「95才というと、そんな年代なんでしょうかね。」


「あぁ・・・そうかもしれませんね・・・」


ワム先生と話していると、
時々この問題に行きあたる。
彼はいつも率直だ。
自分も率直に向き合って話したいと、いつも思う。

 

「でも、それ以前に、人に心を開かない人だったようです。
アメリカから一人でやってきた彼は孫のような存在のはずなのに、
彼に対しても冷たかったです。それにはびっくりしました。
家に彼が住むことも拒否しましたし。
彼の母親の実家なのに。
とても大きな家で、部屋がいっぱいあるのに。」


「わぁ・・・」


「でも、遺体を見ながら彼が言っていました。
こんなふうにひとりぼっちで、きっとすごく寂しかったはずだって。
なんであんなに意地を張って、人を遠ざけて生きたんだろうって。

葬式はとてもたくさんの人が集まって盛大でした。
でも、僕が見てきたその大叔母さんの現実とは、
とてもかけはなれている感じがして、
違和感がありました。」

 

・・・ワム青年も、日本でいろいろな経験をしてきたのだと、
   あらためて感じるエピソードだった・・・

 

「I子さんのホサンとは大違いです。」


「ほんとですね。」

 

「あの・・・ちょっとだけ・・・
韓国語の勉強しませんか?」


「あは、そうですね。
はい、お願いします。」

 

私の博多旅行の感想を求められ、
必死でハングルでしゃべっていたときだった。

ドアがノックされて、
サークルへの見学希望の人が2人現れた。

 

これも、
I子さんの段取りだったりして・・・

 

彼女の形見となったチラシをさっそく渡した。

「これからのスケジュールはこんなふうになっていて・・・」


大事なことはちゃんと全部書かれていた。

装飾はなにもないけど、
シンプルで、わかりやすいチラシだった。

 

まるで彼女そのものみたいに。

 

 

 

 

        ☆   ☆   ☆   ☆   ☆

 

 

 

♪ 本日の ワンポイントはんぐんまる(韓国語)♪

 

 

■ あなたに  会えて  幸せでした

  タンシヌル マンナソ ヘンボッケッソヨ

 

■ 世話をたくさんもらいました(お世話になりました)。
  
  シンセ マニ ジョッソヨ

 

■ ありがとう。

  コマウォヨ 
  


■ きっと また 会いましょう

  コク  タシ マンナプシダ

 

■ そのときまで さよなら

  クッテ カジ アンニョンヒガセヨ

 

 

 

 

14 Comments

  1. 最初に清らかな白とグリーンの花束。
    まるで花嫁のブーケみたいで、これと
    『逝きました』がつながらなかったけど・・。
    「そやコリ☆」読んでるとね、しーたちゃんの教室に
    参加している気になっちゃうの。
    自分は宿題も書き取りテストの勉強もしてないのに、
    黒板の前のワム先生に向かい合っている気になる。
    だから、その教室仲間のI子さんが亡くなったって、
    すごく喪失感を感じるよ。
    最後まで、自分の逝き方をきちんと見極めて、
    そんな間際まで、メンバー募集の段取りまでして・・・。
    もっと楽しいことしたらいいのに、そういう人だったんだね。
    ひとりできちんと背筋を伸ばして生きた方。
    なん〜の覚悟も準備もなしに、根無し草のように流れている身としては、
    ひたすらまぶしい。
    >あなたに  会えて  幸せでした
     タンシヌル マンナソ ヘンボッケッソヨ
    わたしも発音します。
    あなたのお話を聞けて良かった・・から。
    心より、I子さんのご冥福をお祈り致します。

  2. あんなちゃん、読んでくれてありがとう。
    日曜日から書き始めて、毎日書き直して、
    書く度に泣いていて、そうやってだんだん別れを認めていく作業をしてる気がしていたんです。
    だんだん泣かなくなって、これって効果的だなって思っていたけど、
    こんなふうにコメントもらうと、一緒に悼んでくれることが嬉しくて、
    また泣けるのだった。
    >だから、その教室仲間のI子さんが亡くなったって、
    すごく喪失感を感じるよ。
    そんなふうに感じてくれてありがとね。
    あぁ、そんな思いが届けばいいのになぁ。
    >最後まで、自分の逝き方をきちんと見極めて、
    そんな間際まで、メンバー募集の段取りまでして・・・。
    うん、こんなこと、ちょっとやそっとじゃできないことだと思うの。
    すごいと思うの。
    きっと私にはできない。
    >>あなたに  会えて  幸せでした
     タンシヌル マンナソ ヘンボッケッソヨ
    >わたしも発音します。
    あなたのお話を聞けて良かった・・から。
    ありがとう。
    こんなふうに彼女のことを話題にしていろいろ話すことも供養だと思います。
    声に出したら届くような気がするんだよね。

  3. ホサン・・・・とても素敵なことばです。
    そや☆コリでシータさんが折角ハングルを教えてくださっているのに
    一向に頭に入らないアカンタレですが、ホサンだけはしっかり覚えました。
    ホサンで逝きました・・・と言われるようにしっかり生きなければと思いましたし、
    お手本となる生き様を示されたIさんに敬意を表すとともに、
    そんな方に会えたそや☆コリの方がたを羨ましくも思います。
    また、ヤム先生がIさんのことをホサンと言ってくださったのも、すごくうれしいです。
    >あなたに  会えて  幸せでした
     タンシヌル マンナソ ヘンボッケッソヨ
    私も発音します。
    そしてこんなスレを書いてくださる
    シータさんに会えて”幸せです。”

  4. ホサン・・・幸福に逝った人の葬儀
    幸せだったと信じます。
    きっとIさんもシータさん達に会えて幸せだったのですよ。
    見事な人生ですね。しっかり親を送り、自分は愚痴もいわず病気を受け止め、なるべく手を煩わせず、後の事まで配慮して・・・
    お会いした事はなくても、こうしてシータさんの暖かい筆でみんなに、Iさんの素晴らしい生き様が伝わりました。
    今頃、”シータはん、こそばゆいやんかぁ”って言ってますよ!
    送る人も、送られる人も ”ホサン” になれるように生きたいですね。

  5. 好葬、ってすごくいい言葉ですね。
    よく生きて 逝った人のお葬式か。
    I子さんは 本当にそうだったなと 話を聞いて思います。
    多分 身体も大変だったのだろう時に
    >「私が来れへんようになったら、
    >先生の実入りがまた減るやんかなぁ~。」
    こんなことを言えるなんて 人に優しい人でしたね。
    亡くなる前にチラシを作ったのは きっとI子さんが
    ワム先生や シータちゃん達とすごす時間を大好きだった
    からだろうな。他の人にも教えてあげたかったんだよね。
    それから 自分がいなくなって ちょっぴり減ってしまう
    ワム先生の実入りを思って 代わりに来てくれる人が
    いるといいな・・と思ったのかもしれない。
    やさしい 人でしたね。
    >あなたに  会えて  幸せでした
     タンシヌル マンナソ ヘンボッケッソヨ
    憶えておきたい言葉になりました。
    I子さんのご冥福を心から祈ります。

  6. 私、「出逢いは奇跡」だと思ってんの
    彼がまた素敵なお友達に逢わせてくれました、幸福です
    そしてね、その「奇跡」は神様のお約束だと信じてるんだ
    今日は I子さんを思って たっくさんお料理してます
    ミートソース、山形のだし、チャプチエも作っちゃおう、テンメンジャンも買ったよ、コロッケも作るし、キドニービーンズサラダも、アボカドは食べ頃のが見つかりました
    子供が「クッキー焼いてよ」って言うから アイスボックスも捏ねよう
    暑いからヨーグルトアイスもいいね、ヨーグルトの水分を切っておくとシャーベットみたいにならないんだって
    I子さんは 何が食べたいかなぁ・・・
    女優ちゃんは「毎日、身内が危篤」だった、
    そんな毎日の中で 逝く人に「逝かないで」は言っちゃいけないと決めた
    逝きたい人なんているはずはない、お別れは誰にでも哀しいもん
    それでも次の時間が拓ける時、逝かなくてはならないのなら 笑顔で手を振りたいよね、いつものお別れと同じように
    だから 毎日と同じことをするよ
    お料理をたっくさん作って、ガンガン食べて ウヒヒって笑うの
    博多のお土産、渡せなくて残念だったけどね
    シータ先生、I子さんは「そっちの世界のものは そっちで楽しんでよ、私のことを思い出しながらね」って魔法のほうきに乗って笑ってる
    だから 一緒に持っていかなかったんじゃない?でもシータ先生の心は持っていったよ 今頃、どの空の上にいるんだろうね?
    I子さんは旅に出ちゃったけど、I子さんを思う時、I子さんはいっつも一緒、絶対に
    女優ちゃんは たっくさんの人とのお別れの中でそんな風に思うんです
    今回のレッスンは シータ先生のI子さんへの「大事」で 涙でフニャフニャにぼやけちゃう
    皆と一緒に 空にお捧げします、ちゃんとお勉強するからね
    I子さんがワム先生を思って呟かれた言葉が実を結びますように
    哀しみのシータ先生に また 楽しい御学友が恵まれますように
    I子さんが導く その方とのお約束のご縁が 幸福でありますように
    I子さん
    「こんにちは」と「さようなら」が一緒になっちゃったけど
    私は女優ちゃんです、本当は違うんだけど シータ先生のお弟子さんです
    はじめまして、I子さん
    お別れだけど 貴女が私の心に遊びに来てくれて嬉しいです
    だから 最後の挨拶は やっぱり「またね、どこかでお逢いしましょう」にします!

  7. mamaさん
    読んでくれてありがとう!
    >ホサン・・・・とても素敵なことばです。
    でしょでしょ。
    この言葉をみなさんに紹介できて嬉しいなとあらためて思いました。
    >そや☆コリでシータさんが折角ハングルを教えてくださっているのに
    一向に頭に入らないアカンタレですが、ホサンだけはしっかり覚えました。
    ホサンで逝きました・・・と言われるようにしっかり生きなければと思いましたし、
    はい、自分の心に残ったり、都合のいいことだけ覚えればいいよね♪
    しっかり生きなければっておもえるような覚え方してもらえるなんて、
    そりゃ嬉しいことです!!
    >>あなたに  会えて  幸せでした
     タンシヌル マンナソ ヘンボッケッソヨ
    >私も発音します。
    そしてこんなスレを書いてくださる
    シータさんに会えて”幸せです。”
    うぅ・・・・
    朝から涙腺が超ゆるゆるな私・・・
    そんなふうに言ってもらえて、私もしあわせです。

  8. オウルさん
    読んでくれてありがとです!
    >ホサン・・・幸福に逝った人の葬儀
    幸せだったと信じます。
    きっとIさんもシータさん達に会えて幸せだったのですよ。
    はい、私も彼女が幸せだったと信じます。
    そうだ!心配して肩を抱く仲間に毎週会えたんだもん。
    半月前まで楽しく焼き肉食べたんだもん!!
    >見事な人生ですね。しっかり親を送り、自分は愚痴もいわず病気を受け止め、なるべく手を煩わせず、後の事まで配慮して・・・
    お会いした事はなくても、こうしてシータさんの暖かい筆でみんなに、Iさんの素晴らしい生き様が伝わりました。
    そんなふうに言ってもらえると、
    ほんとに彼女への供養ができるようでうれしいなぁ。
    「もっと褒めて褒めて~~~!」って言ってるかもなぁ~。
    ありがと~♪
    >今頃、”シータはん、こそばゆいやんかぁ”って言ってますよ!
    あは、絶対言ってますね(笑)
    >送る人も、送られる人も ”ホサン” になれるように生きたいですね。
    はい、ほんとにね。
    あらためて自分の毎日を振り返ります。

  9. ボニさん、
    読んでくれてありがとさん♪
    >好葬、ってすごくいい言葉ですね。
    んだんだ、惚れちゃうような言葉ですね。
    日本語でこれにあたる言葉ってあるかなって考えたけど、思い浮かびませんでした。
    >多分 身体も大変だったのだろう時に
    >>「私が来れへんようになったら、
    >>先生の実入りがまた減るやんかなぁ~。」
    >こんなことを言えるなんて 人に優しい人でしたね。
    そうなんです。いつも細かな気遣いの人だったんです。
    >亡くなる前にチラシを作ったのは きっとI子さんが
    ワム先生や シータちゃん達とすごす時間を大好きだった
    からだろうな。他の人にも教えてあげたかったんだよね。
    それから 自分がいなくなって ちょっぴり減ってしまう
    ワム先生の実入りを思って 代わりに来てくれる人が
    いるといいな・・と思ったのかもしれない。
    あぁ・・・
    もうほんとに、そういうこと言ってもらっちゃうと泣ける(/_;)
    でも、泣くことも供養だよね。
    うん、大好きだったんだと思うの。
    この1年は、彼女にはそれしかなかったから、ほんとにこの場所があってよかったなって、この1年、何回も心の中で思っていました。
    んで、彼女がいつも金欠な先生のことを心配するようすは、
    なんだか母のようでした。
    >やさしい 人でしたね。
    はい!!!
    >>あなたに  会えて  幸せでした
     タンシヌル マンナソ ヘンボッケッソヨ
    >憶えておきたい言葉になりました。
    >I子さんのご冥福を心から祈ります。
    彼女のために祈ってくれてありがとう。
    絶対よろこんでると思うわぁ~~。

  10. 女優ちゃん
    ここにもたくさんのコメントありがとです!!
    >私、「出逢いは奇跡」だと思ってんの
    彼がまた素敵なお友達に逢わせてくれました、幸福です
    「出会いは奇跡」ステキな言葉♪
    彼って・・・あの、海の向こうの彼だよね・・・
    >今日は I子さんを思って たっくさんお料理してます
    >I子さんは 何が食べたいかなぁ・・・
    す・・すごいラインナップです!
    どれも食べたい!いや・・・私の話じゃないね、I子さんは・・・
    元々なんでもバカスカ食べる人で、
    今はきっと元気な時みたいに、なんでも「おいしい!」って食べると思うよ~~(^o^)
    >女優ちゃんは「毎日、身内が危篤」だった、
    そんな毎日の中で 逝く人に「逝かないで」は言っちゃいけないと決めた
    それは・・・
    どんな状況なんだろう。ちょっと壮絶ですね。
    女優ちゃんもいろいろな日々をすぎてきたのね。
    >逝きたい人なんているはずはない、お別れは誰にでも哀しいもん
    それでも次の時間が拓ける時、逝かなくてはならないのなら 笑顔で手を振りたいよね、いつものお別れと同じように
    だから 毎日と同じことをするよ
    お料理をたっくさん作って、ガンガン食べて ウヒヒって笑うの
    そうね。ウヒヒって笑おう。
    どこかの茜ちゃんを思い出します。
    女優ちゃんも茜ちゃんみたいんだったのかなあ。
    >博多のお土産、渡せなくて残念だったけどね
    シータ先生、I子さんは「そっちの世界のものは そっちで楽しんでよ、私のことを思い出しながらね」って魔法のほうきに乗って笑ってる
    そうね。そう思うことにする。
    やっぱり最後の最後なのにその勇気が出なかったことが悔やまれちゃっていました。
    彼女を思いながら私が使おう。
    >女優ちゃんは たっくさんの人とのお別れの中でそんな風に思うんです
    女優ちゃんの違う面をかいま見た気がします。
    >今回のレッスンは シータ先生のI子さんへの「大事」で 涙でフニャフニャにぼやけちゃう
    私もみなさんの温かいコメントにフニャフニャ中~~~
    >皆と一緒に 空にお捧げします、ちゃんとお勉強するからね
    I子さんがワム先生を思って呟かれた言葉が実を結びますように
    哀しみのシータ先生に また 楽しい御学友が恵まれますように
    I子さんが導く その方とのお約束のご縁が 幸福でありますように
    ほんとに、ありがとさん(^^)
    >I子さん
    「こんにちは」と「さようなら」が一緒になっちゃったけど
    私は女優ちゃんです、本当は違うんだけど シータ先生のお弟子さんです
    はじめまして、I子さん
    お別れだけど 貴女が私の心に遊びに来てくれて嬉しいです
    だから 最後の挨拶は やっぱり「またね、どこかでお逢いしましょう」にします!
    あぁ・・・
    もうほんとに・・・
    彼女はとても喜んでいると思います。
    そんなふうに言ってもらえて嬉しいです。
    そんなふうに彼女のことを近く感じてもらえて、うれしいです。
    ありがとうございました!!

  11. ホサンで逝った彼女は、今頃空の上で笑っていると思います。
    この世のしがらみからも、病からも解放されて
    自由に行きたいところに行って、見たいものを見て、笑っていると思います。
    ワム先生の授業も、一緒に聞いているかもしれません。
    I子さんは、カジョクですか?それとも違う人のファンかな?
    きっと、韓国まで飛んで行って、大好きな人を空の上から眺めているかも・・・。
    よく生きて、逝った人だから、あちらでもきっと幸せでいると思います。
    だからシータさん、あまり悲しまないで。
    しばらく泣いた後は、笑って彼女を思い出してあげてください。
    私も母を68歳で亡くしました。
    空を見上げると、いつでも母が笑っているような気がします。

  12. ちのっちさん
    読んでくださってありがとう♪
    >ホサンで逝った彼女は、今頃空の上で笑っていると思います。
    そうですね。きっと笑っていると思います。
    「驚かせてごめんねぇ~~」って。
    >この世のしがらみからも、病からも解放されて
    自由に行きたいところに行って、見たいものを見て、笑っていると思います。
    ワム先生の授業も、一緒に聞いているかもしれません。
    はい、昨日の授業の時、そこにいるような気がしました。
    まだほんとにいないって実感はわきませんね。
    >I子さんは、カジョクですか?それとも違う人のファンかな?
    彼女は、入り口はドラマでしたが、
    純粋に韓国語を学ぶこと、韓国の文化を知ることを楽しみ
    自分が向上していくことを喜びにしていた人なんです。
    >だからシータさん、あまり悲しまないで。
    しばらく泣いた後は、笑って彼女を思い出してあげてください。
    はい、そうします!
    ありがとう、ちのっちさん☆
    >私も母を68歳で亡くしました。
    空を見上げると、いつでも母が笑っているような気がします。
    そうなのですね。
    まだお若かったのですね。
    お母さんの笑顔を思い出せるってステキなことですね。
    お母さんもホサンで逝かれたのですね。

  13. >日曜日から書き始めて、毎日書き直して、
    書く度に泣いていて、そうやってだんだん別れを認めていく作業をしてる気がしていたんです。
    これがすごくよくわかる。
    ホサンでは、ジェホのことを思い出した。
    古代ローマの墓碑銘にも
    「彼はよく生き、よく死んだ」というのがあって、
    同じことだね。
    なぜ日本語にはないんだろう。
    私が三月にシチリアに一緒に行った乳がん持ちの友達のこと、覚えてる?
    彼女、7月末に亡くなったの。
    お通夜にいったら、入り口すぐのところのビデオモニターに、
    そのときの写真が何枚も、私と一緒のとか、映し出されててこたえた。
    たま~に会うぐらいの付き合いだったのに、
    最後に楽しい、濃密な時間を共有してしまった。
    I子さんと教室の皆も、きっとそういうめぐり合わせだったんだろうな。
    彼女にとって、その教室があったことが、
    亡くなるまでの時間のなかで、とっても幸せなことだったと思う。
    そのことを、よかったねと、しみじみ思います。

  14. vai さん
    あのイタリアに一緒に行かれた彼女、なくなったのですね。
    あぁ、
    ほんとにほんとに、行けてよかったですね。
    人の命って、すごくはかないけど、最後の最後まで意志を持って輝けたりする。
    だからこそよけいにそのあっけなさが悲しかったりするけど。
    I子さんも、その2週間ちょっと前にみんなで焼き肉食べて楽しく過ごせたことは、
    ほんとにすごいことだな。
    私はいまだに、棺に博多土産を入れさせてもらう勇気がなかったこと、
    悔やんでいたりします。
    I子さんは「あほやな」と言って笑ってるはずです。

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