ダ・カーポⅡ 「春待ち散歩」 後編

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 運転手さんは呆れているだろうか・・・

固く指を絡ませて、くっついて座っていた。

「いつ先輩に言ったの?」

「うん・・・、一週間前かな?」

一週間の間、先輩もオンサムもポーカーフェイスだったんだ。

二人があれこれ相談して秘密を共有するところを想像すると
笑えてしまう。

そして、胸が熱くなる。

オンサムの肩に頭をもたせかけて、
ぼーっと街を眺めた。

今こんなふうに彼に触れていることが
まだ現実感を持たない。

このごろ、よくそんなふうになる。
これは、ほんとのことなのかなって。
ほんとに彼が、私のところの戻ってきたの?

いや・・・

違う。戻ってきたのは私?

彼は最初からどこにも行ってはいなかった。
ずっと同じ場所で私を待っていた。

ひどい勘違いで勝手に手を離したのは私・・・

つないだ手に力を込めて、オンサムが耳元で
「どうしたの?」
って訊く。

「ん・・・嬉しくて・・・」
やっとそう言った。

「そう?・・・んふ・・・」

オンサムが、絡めた手をもう片方の手で包んで、
自分の膝に、大事そうに置いた。

窓の外に見える街は、昨夜とは違う昼の顔。

こんな冬の日にも、
光に満ちてポカポカあたたかそうに見えるのは、
きっと今の私が幸せだから。

そう、幸せなんだ。

それだけでいいのに・・・

顔をねじったまま、そっと片手で涙をふいた。

古都として有名な街ではあっても、
繁華街と言えるエリアは意外に小さい。

名所旧跡が数々あってたくさんの観光客が訪れていても、
街そのものはそれほど都会ではないところが気に入っている。

点在する多くの寺院や川辺に緑が多い。

中でも、街を南北にまっすぐ流れる川は圧巻だと思う。

なんて・・・

オンサムの受け売りだけど。

今からそこに行くのだろうか。

千人くらい軽く集まれそうな広場を持つ
石造りの立派な建物が左手に見えた。

市役所だなんて驚いた。

「大きな市役所ね」と言いながら見ていると、
タクシーの右折にあわせて視界に入ってきたのは、
広い橋と目の前に迫る山だった。

「すごい・・・」

ビルばかりの景色から、いきなり緑いっぱいの風景に変わった。

タクシーが止まった。
ここで川に降りるらしい。

オンサムが、顔を覗き込んで微笑みながら手をとった。

「じゃあ、行こうか。」

「うん。」

川岸に降りる立派なスロープがあった。

「ここが・・・そうなのね・・・」

「うん・・・」

「・・・・」

「やっとアキを連れてきた。」

川岸に降り立ったところで足をとめて、
彼は大きく息を吸った。

「この川のにおいがする。
この川の風のにおい。
この道の土のにおい。
アキ、夏もいいよ。
風が揺らす葉っぱのにおいも感じられる。
そうだ。夏の夕立のあとなんかね、土の匂いが立ちのぼってくる。
また夏も来よう。
アキに、ここの夏を見せたい。
いや、春も・・・
ここはずっと桜並木になるんだ。」

「うん。うん、そうね。
どの季節も来たいわ。」

「アキ・・・」

「ん?・・・」

「あなたと一緒にここに来ることができて、
僕が今どんなにうれしいか・・・」

私の方を見ないまま、そう言った。

川の上流をみつめているようで、
ほんとはもっと遠くを見てるのかもしれない。

サム・・・私のサム・・・

長い間、待たせてしまった。
そう思いながら、横顔をみつめていた。

この横顔が、とても好きだった。

二人で目覚めた朝、アパートの窓から外を眺めて、
何をみつけたか、ふと白い歯を見せた。

じっと譜面と対峙して考え込む時、
いつもの癖で、指先で顎の先をなぞった。

音と戯れるようにピアノを弾いて、
心地よさそうに目を閉じると、
唇は何かをつぶやくように微かに開いた。

そう・・・

どんな時にも、君の横顔は美しくて、
漂う気品を隠せなかった。

あの頃・・・・

吸い込まれるようにみつめながら、
ふと臆するような気持ちになった。

輝くような才能を抱えてこの世に生を受け、
選ばれた者にしか纏えない空気に包まれたその人は、
時にステージで割れるような拍手と賞賛のシャワーを浴び、
時に私の横で無防備に眠った。

私は、怖かったのかもしれない。

自分はほんとにこの人のそばにいるべき者なのかと。

いつの日か、崇高な使命を得た彼を送り出すために、
この手を離さなければいけない日が来るのではと。

彼からの惜しみない愛の言葉を受けながら、
ほんとはいつも怖れていたのかもしれない。

そして、小さないたずらを真に受けて、
勝手に彼の手を離し、
一人で底なし沼に落ちていった。

3年近くの間、一度もオンサムの気持ちを確かめなかった。

それは一度も彼を信じようとしなかったことだと言われれば、
まったくその通りなのだ。
ひどい話。

なのに、彼は私を責めなかった。

あの日・・・

3年の間もつれたままだった糸が、あっけなくほどけた日。
まるでほんのちょっとケンカして、
いつものように仲直りした時みたいに、

「じゃあ今日は僕の部屋に泊まるでしょ。
着替えがいるよね。買いに行こう。
あ、それともあなたの部屋に取りに行く?
部屋は、あのまま?」

ピアノに隠れるようにして何度もキスをしたあと、
内緒話をするように、それはそれは楽しそうに彼は囁いた。

そんな彼の頬を包んで、
私はまだキスをほしがった。

後悔も詫びも、安堵も愛しさも・・・
こうしている間に全部流れだしてしまうくらい
お互いの唇の熱さを感じ合っていたかった。

ごめんね・・・ごめんね・・・ありがとう・・・

・・・・・ごめんね・・・・ごめん・・・・

胸の奥で何度も繰り返しながら。

つないだ手をぎゅっと握りなおして、
オンサムが歩き出した。

「ねえ、サム。もうだいぶ歩いてるね。
あとどのくらい歩くの?」

「ん?・・疲れた?
そうか・・・アキは本番直後だった。
うっかりしてたね。ごめん。
休憩する?」

「そうじゃないのよ。全然元気よ。
そうじゃなくて、今ちょっと感動してるの。」

「感動?・・・」

「そう。だってほら、どこまでもちゃんとまっすぐで、
きれいで、緑がたくさんで、こんなふうに人がのんびり過ごしてて、
これって、どこまも続く長い長~~い公園みたい。
すごくステキ。」

「んふ。なるほど。
ほんと、長い公園だ。
あと二時間歩いたってまだまだ続いてるよ。」

「え?・・・・うそ・・・」

「ほんと。」

河川敷の道は、ほんとにまっすぐ続いていた。

車の往来の激しい二車線の道路からひとたび土の道に下りていくと、
すぐに車の音も遠く離れていった。

「静かね。」

「うん。」

「ほんと、今日はあったかいね。」

「うん。」

「土の道っていいね。」

「うん・・・」

「サム?・・・」

オンサムが立ち止まった。

「この辺りだったと思うんだ。」

「なにが?」

「子どもの頃、
アンサンブルの練習してる人たちがいたんだ。
大学生だったんだと思う。
ギター弾いてる人がいて・・・
キーボードや・・・多分ボンゴもあったかな。
そうだ、ひとりで寂しそうにアコーディオンを弾いてる人もいた。」

「子どものころって?」

「夏休みとか、小学校の4年生くらいまで、
おばあちゃんちにひとりで預けられてたんだ。」

「韓国から?」

「うん。」

「ひとりで?」

「うん。父さんは演奏旅行に出てしまうし、
おばあちゃんは僕に会いたいし。
ちょうどよかったんだろう。
でも、肝心の僕の気持ちは聞いてくれなかったけど。」

「そう・・・」

オンサムのお母さんは、
彼が6才の時に亡くなったと聞いた。

彼の両親は二人ともヴァイオリニストだ。
お母さんがコンサートミストレスをしているオーケストラに、
コンチェルトのために招かれてお父さんが来日した。
そこで二人は恋に落ちた。

「父の遺伝なんだ。
音楽を愛する美しい日本の女性に恋をする。」

そう真顔で言ってキスしたっけ。


「いやだったんだ。
ここに来るの。」

「・・・・」

「言葉がわからないから、友達はできないし。
そもそもおばあちゃんとだって、
身振り手振りだった。」

「近所に同じくらいの年の子は?」

「いたけど、僕はすごく無口で内気な子どもでね、
みんなのところに入っていけなかったんだ。
おばあちゃんの用にくっついてあちこち行って、
あとは家でテレビ見て、ピアノの練習して、
夕方涼しくなったら、ひとりでここを散歩した。」

「そう・・・」


小さなオンサムが、この同じ場所をひとり歩いていたのか。

まっすぐに続く道の先に
トボトボ歩く小さな後ろ姿が見えるようで、
愛しさがこみ上げる。

「でもいろいろおもしろかったよ。
いろんな演奏に出会うし、
他にもいろんな人がいる。
サッカーしてる人とか、
将棋してる人とか、
ビール飲んでたり、
一人で空手のポーズしてたり・・・
絵を描いてる人もよく見かけたな。」

「ふふ、なんだか楽しそう。」

今も、すぐそこにそんな人がいる。
あれは篠笛?

細身の女性が、川に向かって横笛を吹く姿が
とても絵になっていた。

「日本の笛かな。」

「ええ、たぶん篠笛。
きれいな音色ね。プロかな。」

「うん・・・
きれいな人だね。」

「え?・・・なんて?・・」

ちょっと睨んでみる。

含み笑いでチラッとこっちを見る憎らしい顔。

しかし、演奏はほんとに素晴らしい。
立ち止まって耳を傾けずにはいられない。
澄んだ美しい音色。

ふっと音が止まった。

きれいなシルエットがいきなりごそごそと揺れて、
彼女はポケットから携帯を取り出した。

『ワォ~~!?×#&◇g*?:※$*◆○』

イタリア語?
いやスペイン語?
いや、違うみたい・・・

すっごくうれしそうなことだけがわかった。
彼女は篠笛をヒョイと巾着袋に入れて、
なおも大声を張り上げて話しながら、
スキップしそうな足取りで一本道を走って行ってしまった。

呆然と彼女の後ろ姿を見送った私たち。
顔を見合わせて、プーッと吹き出した。

オンサムがつぶやいた。

「凛とした和のひとときが一瞬で消えていきました。」

「はい。ドラマティックな場面転換でした。」

「はい。」

「ここはほんとにおもしろいでしょ。」

「はい、とても。」

楽しかった・・・

ただ楽しかった。

君とこうして手をつないで、川のほとりの一本道を歩く。

それだけで、

あぁ・・・
こんなに楽しい。

この3年の間に、オンサムにこんな時間をあげたかった。

あんなに大変な仕事をしていた日々に、
やすらぎの時をあげられたはずだ。

そう、私があんなにバカじゃなかったら。

プライドばかり高い年長のメンバーが待つ場所に、
その若さで乗り込んで、
どんなに厳しい道を歩んできたのか。
その孤独と焦燥のさなかのあなたを包んで癒したかった。

ただ道を求めて、
そう、求道者のように黙々と歩くあなたは、
わざといつも険しい道を選ぶよね。

それなのに、全然平気なふうで、
どうしようもなく優しく柔らかく、人に笑いかけるんだ。

その胸の奥で、押しつぶされそうな孤高の痛みに耐えていても。

そんな人が、今この時に切に望むものがあるなら、
なにがあったもかなえてあげたいと思う。

選ばれた者は、
高みを目指すために、すでにたくさんのことを我慢し、
たくさんのことを諦めているのだから。

ふと違うところに行ってしまっていた私を、
オンサムの陽気な声が引き戻した。

「あ、あの跳び石あるでしょ。
あれだったかどうかわからないけど、
ああいう跳び石を跳んで向こう岸に行って、
また帰って、また行った。」

今もその跳び石を渡っている人がいた。

「あんなに石と石が離れてるのに、子どもが渡れるの?」

「あは・・・
おばあちゃんには、絶対に渡っちゃダメって言われてたんだ。
向こう岸に行くなら橋を渡って行きなさいって。
別に、向こう岸へ行きたいわけじゃないんだ。
ただ、することないから跳んでただけ。」

「よかったね。川に落ちなくて。」

「いや・・・落ちた。」

「え?!」

「慣れると油断してピョンピョン跳ねて、
勢いが出過ぎてそのまま飛び込んじゃった。」

「まぁ・・・・」

「ずぶ濡れで帰って、
すごく怒られたよ。
もう行っちゃダメって言われたけど、
また跳んで、また落ちた。」

「ふふ・・・」

オンサムがまた歩き出した。

歩いて、止まって、また歩き出して・・・
私はただその歩調に合わせている。

いろいろ思い出しているんだろうか。
美しい横顔が、ちょっと物思いの風情で翳りをはらむ。

また飛び石があった。

「ねえ。」

「ん?・・・」

「私も跳んでみたい。」

「え?・・・」

「あそこから向こう岸に行ってみようよ。」

「う~ん、アキに渡れるかな。」

「失礼ね。
小学生のサムが渡れて、私が渡れないわけないでしょ。」

いざ、跳び石に乗ってみると、思った以上に心許ない。

いや・・・怖い。

飛び石の周りの水は流れが速く、飛び石自体が思ったより小さい。。
そして、向こう岸がずっと遠く感じた。

「こんなところを小学生が渡ったの?」

「いや、こんなにハードじゃなかったと思うんだけど・・・
飛び石はたくさんあるから。
多分このコースは難易度が高い。」

手をつないでくれるものだと思っていたオンサムが、
どんどん先に行ってしまう。

なんで?・・・

「ちょっと待ってよ。
こわいよ。サム・・・」

オンサムは私の声なんて聞こえないみたいに、
片手をコートのポケットに入れたまま軽やかに石を跳び、
先に進んでいく。

サム・・・

どうしたの?・・・

こんなふうに彼が私を置いてきぼりにするなんてあり得ない。
「怖い」と言ったら、抱き上げて運んでくれちゃうような人。

・・・のはずだ。

私は跳び石の怖さより、遠くなる彼の後ろ姿にうろたえて、
その場に立ちすくんでしまった。

なんで・・・

なんでこんなことで、私、泣きそうになるんだろう。

向こう岸に渡って振り向いた彼の顔が、笑っていなかった。

そう・・・
彼も呆然としていた。

サム、なんで君まで泣きそうなの?

なんで私たち、こんなところで、
泣きそうな顔して見つめ合ったりしてるの?

夕暮れが近づいていた。
二人の間に流れる水の色が深く濃くなっていく。

ねえ、サム・・・

私、あなたのところに行けないの?

その時、いきなり胸の中に蘇った感覚に、目がくらみそうになった。
あの日から何度も私を襲った、あのすさまじい喪失と絶望の感覚が、
こんなところで唐突に私の全身を覆った。

もう二度と味わうことはないと思っていたのに。

息が苦しい・・・

両腕を抱えるけど、堪えられるかどうかわからない。

サム・・・

あなたのところに・・・

私・・・

行けない?・・・

オンサムの姿が滲んだ。
体がぐらっと揺れる感じがした。

しゃがんでしまおうと思った瞬間に強い力で腕を捕まれ、
抱きかかえられて体が宙に浮いた。

気づいたら元の岸にいた。
しゃがみこんで放心する私をオンサムが抱いていた。
きつく・・・

「ごめん・・・ごめん、アキ・・・」

「サム・・・こわ・・・かった・・・」

「ごめん・・・」

「なんで・・謝るの?・・・」

「あなたを・・・置いていった。」

「・・・わざと?・・・」

「・・・ん・・・」

「・・・・なんで?・・・」

「なんでだろう・・・」

「・・・それって・・・」

「・・・・・・・」

「・・・・・・・」

「アキに、少しイジワルしたくなった・・・・」

「・・・なんで?・・・」

「なんでだろう。」

「・・・・・」

「なんでだろう・・・・・」

盆地の東に位置した街中の川岸からは、
夕日なんてまったく見えない。

ただ静かにむらさきが降りてくるだけだ。

川のほとりに座り込んだ私を、同じく座り込んだオンサムが、
足の間に入れて包み込む。

通りがかりに見ると、
この川の名物と言われる
“いちゃつくカップル”そのものかもしれない。

「これは・・・罰?・・・」

「・・・」

「あなたを信じなかった罰。
『サムがこんなことするはずない』って思えなかった罰。
サムを信じなかった私を・・・
サムが・・・」

「ごめん・・・」

「ほんとに・・・そうなの?・・・」

「・・・・・」

「ほんとなの?・・・」

「そうだな、きっと。」

「・・・・サム・・・」

「ちょっと・・・イジワルしたくなった・・・」

「・・・・」

「そうだよ。僕を信じなかった罰。」

「・・・ん・・・ごめんなさい・・・」

「『サムがこんなことするはずない』って思ってくれなかった罰」

「うん・・・」

「アキ・・・」

「はい。」

「わかってたよ。
そのことでアキが自分を責めてること。
とても後悔して・・・
僕に悪かったって思って、苦しいんでしょ。」

「・・・・」

「今、急にアキをいじめたくなっちゃった。」

「・・・・」

「あのまま僕が行かなかったら、
ほんとにアキは川にドボンと落ちました。」

「・・・ほんとに・・・イジワルね。」

「悲しかった?」

「ええ。」

「怖かった?」

「はい・・・」

「ザマアミロ」

「え?・・・」

「ざまあみろだよ。僕をいじめた罰だ。」

「・・・サ・・ム・・・」

「アキの顔が、すごく心細そうで、怯えてた。
悲しそうで・・・
僕はスッとした。」

「・・・・・」

「いい気分だ。」

「・・・・」

「だからさ、アキ。
もう終わりにしよう。」

「・・・・・」

「ね。もう後悔して苦しくなったりしないで。
自分を責めないで。
それより、ただこうして二人でいることを感じていようよ。
僕はもうそれだけで、死にそうなくらい幸せなのに、
アキが後ろばっかり向いちゃって悲しそうなのはイヤだよ。
僕をひとりにしないで。」

「サム・・・」

「二人にとって離れてた3年は、決してムダじゃなかったって、
あの時ちゃんと話したよね。
僕たち、いい女といい男になって再会したはずだよ。
だから、ね・・・ダ・カーポでしょ。
止まってないで、早く次の演奏を始めよう。」

「・・・・・」

なにも言えなくて、ただ頷くだけだった。
ちょっと油断すると、声を出して大泣きしそうだ。

「はぁ・・・・アキがいる・・・」

「・・・・」

「ここに、ほんとにアキがいるんだよね。」

「・・ん・・・」

「それだけでいい。」

「・・・・・」

「じゃあ、うちに入ろうか。」

「え?・・・うち?・・・」

「うん。うち、ここだから。」

「・・・ん?・・・」

オンサムが指さした方向には、
川岸の緑を借景にした大きな窓の立派な家が並ぶ。

そして、彼が指さす一軒は、ほんとに真正面だった。

「うそ・・・」

「アキはすごいね。
ここに座り込んじゃって動けなくなるなんて。
まるで終点を言い当ててるみたい。
もうこれは運命としかいいようがない。ふふ・・・」

「・・・・・」

「3年も離れてたのに、結局二人でここに来ちゃったでしょ。
僕たちはそんななんだ。
またアキのマヌケな勘違いでケンカして10年離れることになっても、
どうしてもまた会っちゃうと思うよ。」

「イヤよ。二度とあんなのはイヤ。
そんなこと言わないで。」

「だからさ・・・」

「うん・・・」

オンサムがごそごそとポケットを探ったと思うと、
そのまま私の薬指にすっと固い感触が滑った。

「あ・・・・」

透明に輝く一粒が、一瞬にしてその場所に収まった。
あまりの驚きに息がとまりそうになった。

「もう、何があっても離れない。
ほんとにここから僕たちもう一度始めよう。」

「・・・・」

「過去を悔やんだりなんかしないで、
ちゃんと今の僕を見てよ、アキ。
幸せならそのまま幸せな顔してよ。」

「サム・・・」

「僕といて嬉しい?」

「ええ・・・」

「僕を愛してる?」

「ええ、とても。」

「いつでも、僕を信じてくれる?」

「ええ、信じるわ。」

「もう・・・いなくなったりしない?」

「・・・しない・・・」

「・・・・」

泣きそうな顔で、
オンサムが私をみつめる。

「ずっとサムのそばにいる。
ずっとサムと生きていきたい。」

「あぁ・・・」

「サム・・・」

「愛してる・・・」

 

 


日が落ちて、重なる唇が少し冷たい。

岸辺に寄り添う二人の後ろをどこまでも続く一本道は、
もう行き交う人もいない。

「寒い?」

「寒い。」

「寒いよね。ふふ・・・
家に入ろうか。」

「うん。」

「やっと二人きりになれる。」

「なによ、それ。
今だってずっと、二人きりみたいなことばかりしてる。」

「あは・・・そうだね。」

「ふふ・・・」

「でも、もっともっと二人きりなことしよう。」

「それってどんなこと?」

「ここで言っていいの?」

「ダメ」

「あ・・・言いたい。」

「ダメ!」

「家に入ったらすぐに、あなたと僕は・・・」

「ダメ、ダメ!・・・」

あはは!と弾けるようにオンサムが笑った。

「アキ、明日も晴れるそうだよ。」

「そう。」

「だから明日も散歩しよう。」

「うんうん、そうしよう。」

「この一本道をね、もっともっと遡って行くと、
ふたつの川の合流地点がある。」

「へえ・・・そうなの・・・」

「そこには大きな森があって、
もっと行くと世界遺産の神社があって・・・
もっと行くと大きな植物園があって・・・」

「ふふ・・・サム・・・」

「なに?」

「イヤだったなんて・・・
ほんとにここが好きなのね。」

「え?・・・」

「好きなんだわ。ここが。
歩き始めた時からわかってたけど。」

「そう・・・なのかな・・・」

「そうよ。」

「だったらそれは、アキと一緒にいるからだ。」

のぞき込む目の優しさに、
またうっかり涙が滲む。

「明日もあったかいよ。」

「そうね、きっとお散歩日和ね。」

「ビヨリ?・・・なに?」

「あは、うぅ~~ん、それはね・・・
ちょうどそのことにぴったりなよい天気ってことよ。」

「ん?・・・」

「お散歩にぴったりな良い天気だから“お散歩日和”
洗濯日和、ピクニック日和、運動会日和・・・・」

「じゃあ、キスビヨリってあるの?」

「ない。」

「ハグハグビヨリ・・・」

「ない。」

「ラブラブビヨリ・・・」

「ないない、絶対ない・・・・」

「手つなぎ・・・」

「ない!明日はそんなビヨリは全部ないんだからね。
散歩の途中でしちゃダメだから。」

「アキ・・・手つなぎもないの?」

「え?・・・」

「ないの?」

「あ・・・それは、きっとあるわ。」

「そう。よかった。」

そう言って、オンサムは私の手を引き、立ち上がる。

「こんなふうに暗いのがキスビヨリなんじゃない?」

「え?・・・ちが・・・」

気を利かせて早く降りてきた夕闇の中で、
もう一度確かめるように押し当てられた唇は、
さっきよりも温かく、情熱をはらみ始めていた。

サム・・・
日和はね、あったかくてうららかな明るい昼間のことで・・・

あぁ・・・

まあいっか。

キスしたくなるこんな夕闇もステキ。
くっつかないではいられない、この寒さもステキ。

サム・・・

あなたがそう言うから、もう後悔しない。

あなたがそう言うから・・・・
いつも幸せな顔でいよう。

明日も一緒にいられる・・・

ひたひたと胸を満たすその喜びに身を任せてしまおう。

明日も手をつないで、

この一本道を歩いて行けるのだから。

サム・・・

もうすぐ春だね。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

この物語は、私が創作を書かせていただいているサイト
「Moonbow's Path  ~ silverblue's nest ~」( ○ttp://www.geocities.jp/silverblue_web/ )で初出の作品です。
 

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