ダ・カーポⅡ 「春待ち散歩」 前編

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バッグの中の振動に目がさめて、
しばらく眠っていたのだと気づく。

“こんばんわ、アキ。どうしていますか?
僕は朝から一日中レコーディング。
ちょっと疲れたよ。
部屋でワインを開けたところ。
アキと一緒に飲みたいよ。”

いつもちゃんと「こんばんわ」と書き込む律儀さが
おかしくて愛しい。

“お疲れさま♪
今は移動の新幹線の中。
日本縦断中です。
今日の演奏は、わたし的にはかなり上出来だったのよ。
お客さんもすごく盛り上がってくれてステキでした。

子どもたちがね、歌を覚えてて、一緒に歌ってくれたのよ。
こんな日は私もサムと一緒にワイン飲みたい気分。
でも酔っちゃうかな。”

“わぉ!それはあなたこそお疲れさま。
こんな日は乾杯したいね。”

“あ、そうそう、さて私は明日どこに行くでしょ~。”

“どこ?”

“あなたのお母さんのふるさとです!”

“ほんと?それはいいね。
ほら、前に話したでしょ。
川岸の道を散歩するとすごく気持ちいいよ。”

“あの川は全然遠いよ。
ホテル、去年と同じだから街のど真ん中だもん。”

“そうか、それは残念。
それに・・・今の季節は寒いね。”

“うん。
ふたりなら平気かもしれないけどね。
サムがいないんじゃあ、
寂しくなっちゃうからやめておく。”

“ふたりで歩くなら寒くない?”

“うん。きっと寒くない。
サムが温めてくれるわ。”

“まかせて。”

“そうね。楽しみにしておく。
今度私がそっちに行ったら、
漢江の岸にも連れて行ってね。”

“OK!
じゃあ、今日は早く寝て、明日に備えるんだよ。
ステージ、頑張ってね。
おやすみ、アキ。愛してる”

“私も愛してる、サム。おやすみ”

あっけなくサムがおやすみを言った。
いつもならもう少しやりとりするんだけど。

ほんとに今日は疲れたのかもしれない。

“まかせて”だなんて、
そんな日はいつ来るの?

こうして離れていると、
二人の「話したい」のタイミングは、
いつも微妙にずれるものだと思う。

ほんとはもう少しやりとりしていたい。

あと何回か返信がほしい。

いや、今日は声が聴きたい。

そんな気持ちになる時に、
だいたい相手はそうじゃなかったりする。

最近は、とくにそう感じることが多くて、
ちょっとへこんだりもする。

それって、結局私の方が会いたい気持ちが大きいってこと?

もちろん彼にはこんなこと言わない。

悔しいから。

音信不通のまま過ごした3年。
いや正確には2年と10ヶ月。

再び出会って、遠距離恋愛の状態になって3ヶ月め。

私はなんだか「恋の始まり」のころの切なさを
二度味わってる気分なのだ。

これは幸せなこと?

でも、やっぱり苦しかったりするのだ。

会いたい・・・

窓の外の遠い街の灯を見ながら
ついその名前をつぶやきそうになる。

思わず隣を見ると、
先輩が、大口を開けて眠っている。

オンサムはこれから数日レコーディングなのだろうか。
明日を終えれば二日あるオフをどう過ごすか、
まだ決めていなかった。

もっと旅慣れていたら、
さっさと飛行機に乗って会いに行くのかもしれない。

でも、レコーディングの真っ最中に
邪魔はできないと思う。

いや・・・

それでも会いたくて来てしまったと言ったら、
彼は喜んで迎えてくれるのだろうか。

よくわからない。

わからなくて・・・

結局いつもなにもしないで、
会いたい気持ちをもてあますだけ。

そしてただ掃除をして、買い物をして、ピアノに向かう、
それだけの休日になるのだ。


新幹線を降りた途端、ぴりりとした冷気に包まれる。

明日の朝は冷え込むが日中は暖かくなると、
車両に流れるニュースが伝えていた。

ホテルまでのタクシーから見る風景は、
どこにでもある街並みだった。

毎年この街に来るのはこの季節と決まっていた。

浮かれた年末年始を過ぎ、
世の中が、すさまじい年度末を迎える前の
ほんのひとときの失速の頃。

もう3回目だ。

開場を待ってホールの外に並ぶ人が、
風にさらされて寒そうな様子を、
そっと覗く窓の形も思い出せる。

春をもうすぐそこに感じながら、
最後の寒さが身に染みるこのころを、
その空気感で覚えていた。

オンサムを失った季節だと・・・


毎年、肌をなでていく風の温度で思い出した。

深く息をした時の空気の匂いで思い出した。

彼をなくした日のことを。

再び出会い、お互いの思いを確かめ合っても、
ふとまだそこに立ち返ってしまうのは、
まだ彼と一緒に生きる実感をとりもどしていないからかもしれない。

彼がいる日々に、まだ慣れていない。

そう。

いるけど・・・

いないから。

土曜の夜の繁華街は人で溢れていた。
寒いはずなのに、みんな楽しそうに見える。

つい「この街ってカップルが多いですね」

と先輩に言った。

「あっはっは!!
バカだねぇ、あんたは。
自分が人恋しいからカップルが目につくだけだよ。」

「は?・・・」

「あのさ、自分が妊娠すると
『今年は妊婦がやたら多いなぁ~』って思うし、
子連れになると、
『今日はファミリーが多いよなぁ~』って思うんだよ。

あんたってば、
ほんっと、わかりやすくてかわいいやつだよ。」

そう言って、両頬をつままれた。

「痛いです!」

「そうなんだよ。
恋するとさ、痛いんだよ。
どこもかしこも、痛くて苦しいんだ。
乙女よ、苦しめ~~」

あ・・・危険だ。

この調子だと、きっと始まる・・・

と思ったらもう歌い出していた。

「恋ぃ~は やぁさしぃ~~
野辺ぇ~のはぁなよ~~」

「お客さん、うまいねぇ。」

運転手さんが驚いた声で言う。

そりゃそうだ。

この声量でこの歌いっぷり。

「はい~!
一応~オペラをやっていますぅ~。歌役者と呼んでくださいぃ~~~♪」

「おぉ、プロかいな。
そりゃええもん聴かしてもろたわ。
ほんま、うまいわ。
こんなん聴かしてもろたからお代はタダやって言いたいけど、
言えへんねん、ごめんな。
雇われの身やさかいなあ。」

そう言いながらホテルの少し手前でメーターを止めてくれた。

「わぁ、ありがとう!
とってもうれしいわ~。
いい気分で眠れそうだから、きっと明日はいい声が出るわ。
おじさん、今夜はきっとツキが回って、稼げるわよ。
おやすみぃ~!」

こういう時の先輩の投げキッス。
もう何度見たかわからない。

でも、いつも運転手さんは嬉しそうな顔になる。

あぁ・・・

この人のおかげで、
私はオンサムのいない日々をどうにか生きてこられたのかもしれない。

オンサムとの関係が元に戻ってから、
全然大げさじゃなく、ほんとにしみじみ思った。

この人は恩人だった。

なにかに取り憑かれたようにしてオーディションを受けまくっていた私を、
なにげないふうをしてけいこ場に誘ってくれた。

ふざけながら自分のすり切れたジャージを無理やり着せて

「おう、似合うじゃん。
なんか貧乏な劇団員って感じして、なかなかいいよ。」

なんて・・・

くねくねした変な体操をしながら発声練習をした。

そのへんちくりんさに負けて大笑いしてるうちに、
涙が溢れていたことに気づかなかった。

大声で歌いながら盛大に涙する私を、
誰も気にとめないで、汗を流していた。

いや、気にとめないふりをしてくれていたのだろうけど。

「よっしゃ、ほんじゃあ明日からお願いね。」

なんのことかと思ったら、ピアニストを募集中だと言う。

「今日、これが一応オーディションってことで。」

「だって私、ピアノ全然弾いてない。」

「いいの。体の曲げ具合と、
声出した時の顔がよかった。
合格!」

「はぁ?・・・」

「実はね、偶然だけどうちの先生、
あんたのピアノ、もう聴いてるんだ。
卒業演奏会で。」

「え?・・・」

「姿がきれいだから目にとまったんだって。
んでさ、演奏を聴いたらこれまたよかったってさ。
伴奏者の性格だって。」

「・・・・・」

「だから、あんたを呼んだの、私の思いつきなんかじゃないよ。
先生のお墨付きだよ。
頼むよ。すぐにでもけいこ始めないと間に合わないんだ。」

私はまんまと信じた。

そして、それが先輩の真っ赤なウソだったと判明したのは、
半年経って、もう抜けられない状態になってからだった。

あの日の演奏者の一人をつかまえて
演奏会のDVDをわざわざ入手したんだ。
それを演出家に見せて売り込んでくれたなんて、思いもよらなかった。

「そんなことしてないよ。
なに言ってんのよ。」

なおも問いつめると、

「そんなことどうでもいいでしょ。
もうあんたはここの人間なの。
あんたなしじゃあ回っていかないんだ。
ガーガー言ってる暇があったら練習だよ。

明日からパーカッションと合わせるんだから、
気合い入れてよね。」

そして、その話題はそれっきりとなった。

慰めてもらおうなんて思ってなかったけど、
気にかけてくれてたのかと嬉しくて、
つい泣きそうになったのは事実だ。

そして、「そんな甘えなんか許さない」って言われたような気がして、
少し淋しかったのもほんとのことだ。

でも、だからこそ、私は泣き言を言わずにすんだ。
ただ練習に打ち込むことができた。

なのに、驚いた。

オンサムとの関係が戻ったことを知った時の先輩といったら・・・

「なんだよ、それ・・・なんだよ・・・
あんたがバカだっただけじゃん!!
勝手に勘違いして思いこんだのかよ。
コノヤロー!バカヤローー!!」

そう言って私の頭を両手でつかんで振り回した。

そしてガバッと抱きしめたと思うと、

「よかった・・・よかったね・・・」

と言ってオンオンと泣き出した。

「ありがと・・・ございました・・・
今日まで・・・」

祝杯だと連れていかれた居酒屋で、
「よかったよかった」を繰り返し、
夜中まで歌って飲んだ。

それでも翌朝声がつぶれてない。

『おばけノド』と呼ばれてる。
 


ホテルに入る背中を見ながら、
そんなこんなを思い出して、
じ~んとした。

あぁ・・・しかし・・・

私の恩人はフロントで、
上機嫌のまま歌いながらチェックインしている。

前言撤回して他人の振りをしたくなる、この時間。

恩人が振り向いた。

「アキィ~。
あなたも早ゃ~くなさいましぃ~♪
お部屋にあがっておねんねしましょぉ~~~♪♪」

 ーーーーーーーーーー

開演30分前


最終の打ち合わせを終えて、
メイクも完璧。

みんな静かだ。

舞台に向けてそれぞれの方法でテンションを上げていく。

短く声だしをする以外は、あまり喋らない。

もう一度客席からの登場場面を確認しに行ったり、
照明の調整のために呼ばれたりして、
人の出入りはあるが、
それでも静かだ。

加湿器のシューシューという音が際だって聞こえる。

私は、譜面の継ぎ目をセロテープで修理していた。

1時間半の演奏のあいだ、ずっと自分でめくり続けるために
工夫して特別に貼り合わせた譜面。

さっき舞台でめくった拍子に破れてしまった。

そこへ、小部屋をあてがわれてる先輩がドカドカと入ってきた。

頬を赤くしたメイクにボロ布の衣装。

似合ってる・・・

「アキ、なに散らかしてるのよ。
荷物はちゃんとまとめておきなさいよ。」

「は?・・・」

「んで、今日あんたは先に帰っていいから。」

「・・・は?・・・」

「だけど、帰るとき正面のロビーで私にあいさつしてから出なさいね。」

「・・・・ん?・・・」

「私、今日は知り合いがいっぱい来るのよ。
こないだワークショップやった子どもたちも来るから、
きっと時間かかるのよ。」

「はぁ?・・・
先にって・・・同じ新幹線で帰るじゃないですか。」

「もう・・・あんたってめんどくさい!」

「はぁ~?・・・」

「だからとにかく言うとおりにしな。
自分の荷物全部持って、
とりあえずロビーに来ればいいんだよ。
わかった?
終わったらさっさと着替えるんだぞ。」

言ってることがさっぱりわからなかった。

でも、その3時間後、その意味は電撃的に解明された。

ーーーーーーーーー

終演し、800人の会場いっぱいの観客を出演者が見送る。

言われた通りになぜか荷物を持って、ロビーに立ってる私。

握手攻めに合ってる先輩を遠目で眺めていると、
たくさんの人に囲まれてる彼女が、
ひときわ嬉しそうに、遠くの誰かに手を振った。

誰だろうと、何気なくその方向を見ると・・・

「え?!・・・」

オンサムだった。

「え?・・・なに?・・・え?・・」

二人が近づいた。

先輩は他の取り巻きの人たちを蹴散らすようにして両手を広げ、
彼に抱きついた。

「オンサム~~!会いたかったよ~~!!」

「僕もです。マユミさん、お元気でしたか?」

「元気も元気、超ゲンキィ~~!」

「あは。よかったです。はい、これ。」

かわいい花束を渡されて、

「きゃー!オンサム愛してる~!」
と叫んでぴょんと跳びはねたと思うと、
彼の頬にキスをした。

「あはは・・・」

オンサムも先輩も嬉しそうで・・・
私も嬉しい。

「ほら、あなたのマヌケな彼女は、あそこに突っ立ってるよ。
連れて帰っておくれ。
あ、その前に、あのポカンと開いた口を閉じてやってね。」

「はい。あは・・・
マユミさん、ほんとにありがとうございました。」

オンサムが丁寧なお辞儀をした。

二人のやりとりに驚いたギャラリーの中には、
彼に気づいた人もいるようだ。
ここの観客の層は厚く、クラシックの愛好者も多いのだ。

子ども向けと言ってもこの劇団の音楽的なレベルは高い。
音楽雑誌で、彼が取り上げられたのと同じ特集を飾ったこともあるほどだ。
この場所に、彼を知る人がいても当然だと思う。

それに・・・

この目立ちすぎる容貌だ。

あぁ・・・

こっちに来る。

オンサムが来る。

ポカンと口を開けたマヌケな顔が戻らない私の元へ。

ここでラブシーンを演じたいわけじゃないけど、
彼がこんなふうに、
思い詰めたような、うれしくてたまらないような、
なんとも言えない顔で私を抱きしめるのを
拒むことはできないだろう。

大きな体をかぶせるように、
オンサムが私を包んだ。

そっと背中に腕を回して、
彼の香りを吸い込んだ。

「今日もレコーディングじゃなかったの?」

「ごめん。うそだ。
昨日から日本にいた。」

「え?・・・えぇ~??・・・」

体を離して問いかけようとするのに、
オンサムの胸に埋められたまま身動きできない。

「明日とあさってはオフなんだ。」

「私もよ。明日とあさってはお休み。
まるで合わせたみたいにぴったりね。」

「当たり前でしょ。合わせたんだから。」

「え?・・・」

「まだ気づかないの?
あなたのスケジュールに合わせたんだ。
そしてマユミさんにお願いして、
あなたに会えるようにしてもらった。

だから今こうしてるんだよ。
わかった?」

「あ・・・そっか・・・そうなのね・・・」

やっと体を離したら、急に恥ずかしくなった。

先輩が

“早く行け!”

と、手で合図している。

今日は私から彼女に、熱い投げキッスを送った。

やっぱり彼に気づいた人もたくさんいたみたいだけど、
なんせこんなシチュエーションだから、
誰も声をかけないでいてくれた。

それに、なによりオンサムは堂々としすぎている。

そのオーラで人を弾いてしまうのかもしれない。

なんとなく人垣が勝手に分かれた。
モーゼみたい。

道を開けられ注目されてることを感じながら
でもその道を、がっちりと繋がれた手にひかれて進んだ。

こんなふうに注目される居心地の悪さに、
これから先なんども出会うのだろう。

彼と一緒に生きていくなら。

彼と一緒に・・・

それはほんとのことだろうか。

一歩ホールを出ると陽射しがまぶしい。

外はこんなに明るかったんだ。

「アキ。」

「ん?」

「まだ3時だね。」

「うん。まだ明るいね。」

「アキ、散歩しよう。」

「ふふ、でもこれ。」

オンサムが持ってくれてる大きなキャリーバッグを指さした。

するとオンサムは、わかってるよという顔で言った。

「これを持ってってからね。」

「どこに?」

「うち。」

「誰の?」

「僕の。いや、僕たちの。」

「は?・・・」

「昨日は一日中、
レコーディングじゃなくて、ハウスキーピングだったんだ。」

「・・・・・え?・・・」

今日は驚くことばかりだ。

通りに出ると、
つなぎのユニホーム姿で白い軽のバンにもたれていた人が
帽子を取って一礼した。

「よろしく。」

オンサムが渡した私のバッグをさっさと後ろに積んで発進した。

「どうなるの?・・・」

「夕方の6時に届けてくれる。」

「どこに?・・・」

「だから、僕たちの家に。」

「・・・・」

まだ3時。
今日はまだまだ続くんだろうな。
オンサム演出のサプライズ。

彼が手を挙げるとすぐにタクシーが止まった。

振り返ったオンサムの笑顔には、
これからはじまることへのわくわくが隠せない。

いいよ。

なにがなんだかわかんないけど、
あなたが嬉しいことなら、きっと私も嬉しいはず。


タクシーに乗った途端に私の手を両手で包んで、
指にキスをした。

「今はここで我慢しておくよ。」

「んふ・・・」

その手を取って、今度は私がキスをした。
 

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